撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

ファザコン?

 女の子にとって、父親に無条件に愛され大切にされた記憶というものは
後々、影響を与える・・とかいう話をこのごろ耳にしますが・・。


 父親が眼鏡を掛けていたので、ある程度の時期まで眼鏡掛けてない
大人の男の人は嫌だった。そもそも大人の男の人が気持ち悪い時期が
あったなあ・・。高校野球は見るけど、プロ野球の男の人は見るのも
嫌いだった。


 私はどちらかというと母の方が好きだったけれど、母は自分の父親の
方が好きだったみたいだなあ・・。そのおじいちゃんが、私をみてうんうん
って首を動かしていたので、どうしたの?って聞いたら「○○ちゃんが
おりこうだからだよ」って言ってくれてすごくうれしかったことを何故か
覚えている。そのしばらくあと、父が首を動かしていたので「どうしたの?」
って聞いたら、「首が痛いから」って答えられて、おじいちゃんの方が
すき!って思った記憶があるのが不思議だ。そのふたつの区別がつかないって
イソップ物語のロバ並みじゃん!って笑うけど、そのおじいちゃんが
亡くなったのが私が小学校2年生の時なんだから、もっと小さい子供が
そんなことを覚えていることのほうが面白いと言えばおもしろい。


 父がいなくなってからの方が、父のことを考える。母より父の方が長く
つきあうことになったのも、父とのつきあいが母とに比べると薄かったから
ちゃんとつきあえと言われたのかもしれない。


 生きているうちは何故だかそこにいるだけで安心してまともに向き合おうと
しない親子というもの。特に、異性の親というものはそうなのかもしれない。
今となっては、母がその父をより想っていたのも、母親はまだ生きていた
からかもしれない。


 死んでしまってからなる、ファザコン・マザコンは、人間として当たり前
なのかも・・。自分を考えると、やはり親のことを考える。自分のすべてが
嫌になったときは、親もなにもかも投げ捨ててしまいたいと思うけれど、
自分が生きていることを感謝するときにはやはり、親のことを愛しく思い出す。