撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

ちいさくまとめようとするな(さくら)

 さくら・・実は先週の土曜日見損ねてしまったんです・・(涙)


 しっかり録画予約を入れていたのに、ハードディスクの容量が足りなく
なっていて、予約ランプがピコピコしていたのには誰も気づいていな
かった・・。めずらしく朝寝坊をして起きてきて大ショック!でも
けっこうこういうことあるし・・ともはや悟りすらひらきかけている
(テレビに関してだけですが・・)私に対して、何回直面しても慣れない
ダンナ。そう・・この録画予約はダンナがセットしていたので、私は
事が起こったとき(上手くいかなかったとき)はひたすら平常心を保つ
ことしかできない。ダンナは自分で自分が悔しくてパニック一歩手前。
おおこわ!触らぬ神にたたりなし・・状態です。そそくさと出掛ける
私と長男。何も知らずに寝ている次男にいくらかの同情をしながら・・。


 買い物に出ているあいだにダンナから電話が入る。「やっぱりお昼ご飯
お願いします・・」。さっきもういらん!って言ってたやつ。ほう・・
いくらか進化したじゃん!やっぱり、自分が失敗したときには、ひとに
当たり散らさずに自分で向き合わなくちゃね・・と、ダンナさんから
自分や子供を育てるためのヒントをいただきます。(と言っておこう)


 だもんで、今日はすこしばかりついていけずに、書道の先生がいったい
いつからいらしたのかもわかりません。でも、ドラマってどこに素敵な
言葉がちりばめられているかわからない素敵な宝探しのようですね。


 さくらに「今日の字には迷いがない」とおっしゃる先生が、温泉玉子と
書く女の人に、「足りないのなら足せばいい。ちいさくまとめようと
するんじゃない」と言われていたのはなんだかとても心に残りました。


 子供に対するときに、自分の都合で自分の心がコロコロ変わっている
ことを感じることがある。時間にしろ、手間にしろ、余裕があるときは
ゆったりしているくせに、自分の都合がつかなくなると、急にうるさい
ことをいったりして・・。また、充分余裕があって相手をする覚悟がある
ときにうるさいことを言うのならともかく、どうしようもないときに
何かを指摘しても、それは言い捨てて相手を追いつめるだけだと感じたり
して・・。


 仕事や他人や夫婦ですら、どうしようもなくなったらいざというときは
いざというとき!と居直ることができる。すべてを投げ出して白紙にして
問題を解決する道がどこかに残されている。そのかわり、その関係はある意味
取り返しのつかない真剣勝負なのかもしれない。なんだったっけ?矢が何本も
あると思って矢を射るときにいい加減な気持で射てはいけない・・という
意味の言葉があったよなあ・・。


 逆に子供を育てるということは、失敗と言い切ることが出来ないかわり、
取り返しがきかないわけではない反面、どこまでも終わりがない。親子の
血のつながりというものはどこまで逃げても絶対逃げられない。意識して
いるかしていないかは別として、どこかで必ず愛情(そのままの形をして
いるかどうかはそれぞれだが)で結ばれている。ほかで通用するやり方が
親子関係できれいに通用するともいえないところが難しいところ。子供と
上手くいかないときに、自分が親に素直になれなかったことを思い出せば
いくらか考えが落ち着くかもしれない。


 夫婦が他人といえども、この、子供を育てる上でどうしても夫婦の関係が
はずせない部分があると言う意味で、子供を授かるということそれだけで
二人の関係が特別な運命に結ばれているということは間違いないと思えて
しまうのだ。その特別な運命をどのように考え扱うかはそのひとたちそれぞれ
だとしても・・・。


 親が子供にしてやれることは、レールを敷いたり、お尻を叩いたり、手とり
足とり何かをしてやることではなく、今日の書道のように、新しい半紙を
傍らにいっぱい用意して、子供が困った顔をしたときに、さりげなく差し
出してやることなのかもしれないなあ・・なんて考えさせられた。