撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

お彼岸に

 家の中も一段落し、何だかこころ落ち着けて過ごしたい
気分だったので、お彼岸の中日には歩いて30分ほどの
お寺にお参りにいった。普段は顔だけだして納骨堂に
お参りして、ものの30分ほどで帰ってくるところ、今回は
法要のお話までフルに出席させていただいて2時間。今まで
見ていなかったものが見えてきたような気分だった。


 本堂に入ると、お線香の煙と強烈な香り。いつもと違う
お坊さんの正装。鳴り響く鐘や拍子木のようなものの音。
異質と言えば異質だけれど、一歩間違えたらぶっ飛んでしまい
そうです。その中にじっと座っていると、色んなことを考えたり
まったく何も考えずにぼーっとしたり、なかなか貴重な時間
だったような気がする。


 お釈迦様に背中を押されて、阿弥陀さまへひたすらに歩け・・と。
片側には荒れ狂う水の深み、もう片側には燃えたぎる火。そのどちらに
落ちることなく、溺れず、焦がれず、中道(ちゅうどう)を進め、と。


 宗教をひたすらに信仰するひとは、宗教の世界で中道を歩くの
だろうな。また、どんな打ち込むものでも、その世界で、中道を
歩きながら高みをめざすのだろうな。いろんなことに興味があって、
いろんな雑多な世界に身を置きたいと思っているわたしは、その
教えの真ん中にあるところだけいただいて、あっちふらふら、こっち
ふらふらしながら、それでも堕ちずに高みをめざして行きたい。何処に
いくのか、何を目指しているのか、まだまだ定かではないけれど、
とりあえず、おだやかな笑顔を浮かべられる自分でいたいと思う。
感謝のこころだけは決して忘れずに・・・。



「いいかげん」は「良い加減」というお話もあった。ここまではよく
聞くことなのだけれど、お話の中で「いい味加減、いい湯加減などと
あいだに言葉をいれると、いい意味になるでしょう?」といわれたあと
「いい旦那加減」「いい嫁加減」などという言い方を紹介されたのが
なんとも面白かった。「いい嫁加減」「いい母加減」・・・なんだか
肩の力が抜けそうでちょっと心の中でつぶやいてみるのもいいかな?
などと思いました。