撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

上手に言わはる(芋たこなんきん)

 すみこさんの法事がおこなわれる。たくさんのひとが思い出を
語る。死ぬのが恐いと言っていたきよしくんも、胸の中に母の
言葉が思い出とともに繰り返しよみがえることに気づく。母の
思い出が寄り添うように、死んだ母もきっとひとりぼっちではない
と、思えたのだろうか?生きているうちに、大切な言葉を伝えた
ひとは、死んでからもおしゃべりできるんやね・・と町子。上手に
言わはる・・と健次郎。


 ひとりお墓に参った晴子。あたしでも思い出したらつらいのに
子供達にわざわざ思い出させるのは可愛そうだと思う・・と。
 そうか、そうだったんだ・・と思う。母をなくしたとき、そう
だった。母が居なくなったことが耐えられなかった。母と続くはず
だった日々が失われたこと、母からまだたくさんもらえるはずだった
あらゆる出来事がなくなったことが悲しくて仕方がなかった。私の
知らない母の思い出を持っている人が許せなかった。私の居ない時間
に、母の愛情を受けた人に嫉妬した。生きていたら、一番愛されて
いたはずの自分が置いて行かれたようでたまらなく自分が不幸に
思えた。ゆりこちゃんが、もうきんぴらごぼうは食べられないんだね
といったのが、たまらなく切なかった。


 大人になったらもう少し別の見方ができるようになったけど、
母からもらったものと、自分で得たものを通して、母だったらこう
言ってくれるはず・・と思えるようになったから、母がいなくても
母が見守ってくれるおかげで色んなことが上手くはこんでいくことが
あると思えるようになったから・・。
 それは、自分で自分に「上手に言って」いるのかもしれないな。
健次郎さんが言うように、神サンはきまぐれで、ときに残酷なことを
しはるから・・。人間は、降って起こることを、上手い具合にさばき
ながら、なんとか楽しんでいくしかできないこともある。自分で選んだ
にしては、決まりが悪かったり、運命だというには都合が良すぎたり
するときには、「神サンのきまぐれ」というのも、大人の智恵なのかも
しれない。大人は、しぶとく強いものだと思う。純粋なこどもから見れば
時にずるいとさえ思う。でも、そうやって生きていくのが大人の仕事、
そうやって子供を守っていくのが大人のつとめなのではないかとも
思う。上手に言わはる・・って言い合うのは、理解し合った大人同士
の会話であり、ときに深い繋がりを持つ共犯者の囁きかもしれない。
 健次郎はやっぱりある種色っぽいと思いますよ・・・。