撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

嫁・姑は日本文化の継承者?

 ふと、思った。違う家に育った二人が生活を共にする結婚って、それは
それは大変なことだ。愛し合っていても、思いやりを持っていても
相容れないところが出てくる。それなのに、台所に女二人・・ってだけでも
ひと騒動あるのに、嫁・姑同居・・ってどんなに大変なんだろう?幸い(?)
うちはスープ届けられないことはないけど、冷めちゃうのは覚悟してね!
っていうくらい程良く(?)離れているので、お互いいい顔見せられるけれど
一緒に住んでたらこんなにのほほんと暮らせないだろうな・・と思う。


 今はどうだかしらないけれど、母親は娘にはきびしい。ひととおりのことは
教える。料理の味に限らず、洗濯物の干し方からゴミの出し方まで、女の
数だけやり方がある。それを持って異文化対決である。はっきり言って、嫁は
姑に従うもの・・とかいう基本ルールがなかったら壮絶なバトルになるか
家事機能停止に陥るか・・だと思う。大変な中で折り合いをつけ、必然的に
二人のふるいにかけられたものだけが後世に残っていく。究極の弁証法


 なんて、かたっくるしい話は別としても、身内だけではなあなあになる
季節の行事とか、めんどくさい料理とか、すこしあらたまった関係のひとたち
が一緒にいるからこそ守られてるところがあるかな?なんて思う。うちも、
ひと昔前はだんなの実家によく行っていたことと、私の父がいて、だんなと
会話してたことで、長男は知らず知らずのうちに敬語を覚えていた。幼稚園
の先生に「かれは敬語で話しかけてくれるんですよ〜!」と大受けだった。
下の子は・・・ないけど。


 まあ、物事いろいろですね。自分に足りない分、恵まれている分、裏表
ですがちょっと考えてみました・・というところです。