感じるのよ・・荒木経惟さん
アラーキーこと写真家荒木経惟さんが生活ほっとモーニングに出てあった。
「過激」とか「ヌード」とか取り上げられることが多いけれど、このごろ
この方が撮っておられるものは「日本人の顔」だ。各県で、一般公募した
普通のひとびとの写真を撮りに、全国をまわっていらっしゃる。
顔は一番の裸
関係が顔をつくる
写真は出会うこと、出会うだけ、出会わなかったら、ダメってこと
写真はどう「切り取る」か
デビュー作が子供達の写真ということにも驚いた。
ご両親の亡くなった時の写真があった。
奥さんとの別れの間際もシャッターを押していた。
「僕の場合は、撮ることによって愛情が深まるのだと思う」
死というものと、写真を撮るということが並ぶのが普通の考えから
見たら奇異に映ることに対することについての答え・・。
私も、そこまで撮り続けるのは、かえって苦しいことなのではないか?
と考えてしまったけれど、そう言われて、そんな愛し方があるのだと
思った。亡くなった人の枕元でひとり話しかけるように、冷たくなった
愛しい人の手を握るように、最後の別れに髪を撫でくちづけするように
そんな風にシャッターを押すのかも知れない・・と思った。もちろん
誰にでも出来ることではない。
一番印象的だったのは、写真を撮ることによって、撮る方も撮られる
方も、幸せになる・・そのために写真を撮っているんだ・・と。若い
頃は、照れくさいから、つっぱって過激に表現してたりしたけど、もう
素直に出してもいいかな・・と思って・・。
考えたこと・・写真は上手下手はのぞいて、2種類ある。愛情のこもった
写真と、情報に過ぎない写真だ。何が映っているかではない。映す人が
被写体に対して、どう思っているかだ。写真に映るのは「関係」だと
アラーキーは言っていた。