撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

大切なこと

 だんなが社員旅行で長崎に行ってきた。平和公園原爆資料館
行ってきたようだ。昨日、漏らしたひとことは、「たまらないよな、
突然にあんなことになって・・」。今朝話していたことは、あれだけ
のことを身に受けたのに、アメリカを非難するような文章は全く
書いてなかった・・、と。


 修学旅行みたい・・と子供達に言われつつ、この年になってもう一度
そういう場所を訪れることって、意味があるよな・と思う。わたしも、
ことあるごとに考えたいと思っていることだし、国会中継でも、核に
ついての議題も聞かれるこの頃・・何となく、そういう話ができることは
とてもうれしかった。


 私なりの考察。アメリカに対する非難を思わせるようなものがない・・
ということ。もちろん、アメリカに対する、色々な事情もあるのかも
知れないが、それよりももっと大切なことを、なんのしがらみももたない
純粋な心で伝えたい・・ということではないのだろか?そして、なにより、
これから、今からを大切にしてほしいということではないだろうか?


 誰が悪い、何が原因、そんなことに関わらず、どんなことがあっても
どんな事情や立場があったとしても、戦争は起こしてはならない。人の
命を奪うようなものは使ってはいけない。そう、強く訴えかけられて
いるのだと思いたい。


 国会中継のやりとりにも思う。出来るかどうか、これから世界がどう
なっていくか・・誰にも分からないところはあると思う。それでも、
何か起こったときに責任を逃れるために、あやふやな、どちらにも
とれるような、あいまいで抽象的な表現で煙に巻くような、発言を
神経をすり減らしてしたり、重箱の隅をつつくような質問をするので
なく、日本の国を動かしていくうえで、何が大切なのか、忘れてはいけない
ことは何なのか、党を越えて、尊重すべき考え方を国民の前にきちんと
表して欲しいと思う。


 末端は、責任が負えないようなことには手が出せないといい、中間は
上下で調整しないと始められないといい、上は、現場のことは現場で
なければ分からないというような、何をやっているか分からないような
ことにはなって欲しくない。


 ものごとには、基本や礎になる部分があるはずだ。どんなに世界が
すごいスピードで変わっていったとしても、目の前に見えるものが
見慣れないものになったとしても、忘れてはいけないものがあるはずだ。
 自信を持って、大人はそれを次の世代に伝えなければいけないと思う。
そして、自信が持てるまで、充分に考え、話し合うべきだ。けっして
ひとりよがりにならないように・・・。


 世界平和を望む。しかし、その根っこは、「芋たこなんきん」で子供に
言われていた言葉「卑怯なことをするな」というようなことかもしれない。
力を持つときには必ずそれに見合う、「こころ」を持っていないと、ただの
乱暴もの、危険なひとが増えるだけだと、そう思う。