撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

情報の種類

 新聞社の人が、「新卒者が、情報を得るのにインターネット関係から
の方が圧倒的に多く、新聞を見てくれない・・」と嘆いていたと、うちの
だんなが言っていた。人材広告の世界の話。まあ、相手は、新卒者を昔から
対象にしてきた企業ですから、新卒に限っては、「新聞があの会社に新卒
で、一度でも勝ったことがあったか?あの会社よりも力を入れてきたことが
あったか?」と突っ込みたいところでしたが・・・。


 でも、インターネットの世界の情報って、要注意だと思う。パソコンに
向かって、指で操作するだけで、世界の情報が入ってくるような錯覚に
陥る。もちろん、ずっと調べて、自分のやり方を見つけて、本当に世界と
繋がっている人もいっぱいいるだろうが、いくらかのページを開いて、
世の中の人たちはこういっている・・と決めつけている人もいるのでは
ないだろうか?


 なんとなく、スーパーで売られる、切り身魚のパックを思い浮かべて
しまう私・・・。


 土を離れて、海も離れて、人からも離れて、そうして得たもので生活が
成り立ってしまう不思議と怖ろしさ。情報は得ても、本当の知識にはならず、
食べ物は口にいれても食事をしたと呼べるかどうか・・。生きている実感は
どこでどうやって感じるのだろう?


 このごろよく思うのは、こころとからだと頭のバランスをとってやることは
人間が生きていく上で大切なことなのではないか?ということ。どれかだけに
頼っても、どれかを蔑ろにしても、いけないような気がする・・・。


 情報にはスピードが大切だが、物語には時間が必要である・・と。


 忙しい毎日ではあっても、ものごとをまるごと受け入れ、自分で考えること
は、忘れたくない。それがたとえ自分のやり方にすぎないとしても、いちど
自分のものにしたうえで物事を語りたいと思う。自分の身の回りのものに
物語を感じるほどの余裕は、人生を楽しむためにも必要なのではないかと
思う。