撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

えがったなあ・・(純情きらり)

 冬吾が岡崎にやってきた。笛子に絵を描くことを強制されて
もう、やってられなくて逃げ出してきたらしい。「戦争が終わったと
いうのに、おれは今が戦争だ」と、終わったばかりにしては不謹慎な
喩え。本当のぎりぎりのなかでの他人の不幸は同情するし、胸も痛むが
幸せのなかでの他人の不幸は、自分に降りかかりさえしなければ滑稽な
だけだな・・と思ってしまう。逃げる場所がある冬吾はそれもまた幸せな
ことだ。笛子のするようにさせて、自分のほうが逃げてるうちは、まだ
余裕があるっていうか、それも冬吾の笛子に対する愛情のうち・・って
感じがする。


 達彦さんが帰ってきたんだ・・と、すこしためらいがちにいう桜子に、
「えがったなあ・・」と、冬吾。二人の関係・・というか、桜子が冬吾に
心を開くのは、これだからだろうなあ・・と思う。
 一番、言って欲しい言葉を、ストレートに、それだけ、純粋に、言って
くれる。自分の心の中の迷いまで吹き飛ばしてくれるように、いちばん
純粋な心をみつめてくれる。冬吾にとってもそうなのかな?


 どんなに離れていても、どんなに環境が変わっても、逢えばたちまちに
心が通う気持ちになる、親友と呼ぶに相応しい存在を持つ人は多いと思う。
何も求めないけれど、逢えたその時そのものが、その人の存在そのものが
なんてしあわせな巡り合わせなんだろう・・と思えるような人のことだ。


 帰る場所がある幸せがあるように、魂をひととき漂わせるように解き放つ
ことのできる場所があるのは幸せなことだと思う。
 相手が同性だったら、単純だし、なんとなくいい話なだけなんだけど
男と女なもんだから、話がややこしくなるよなあ・・。まだ親戚だから
家に泊まるのもいいけどさ・・・。昔の冬吾は、な〜〜んもこだわらずに
いろんなとこに、逃げ回ったり、請われて身を寄せたりしてたんだろうなあ
と考えると、笛子にとっても、桜子の存在は、複雑で不幸にみえて、ほんとは
幸運なことなんじゃないか・・と感じられてしまう今日のわたしでした。