撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

達彦さんのいない2週間(純情きらり)

 2週間だったんだ・・。かねさんがなくなって、桜子がほんとうの意味で
達彦をなくして、さまよっていた時期は・・。(放映日数でね、もちろん)


 でも、ずっと長いような気がした。いつ、このトンネルから抜けられるのか
と、そんな気持ちだった。この先どうなるのか、できれば、飛ばしちゃいたい
と思った。何度、さきのあらすじをどこかで探そうとしたことか、でも、
そうしたら、毎日を噛みしめないような気がしたから・・・。


 「達彦さん帰ってきたら観よう!」
 「なにやってても大丈夫、大丈夫、どうせこのふたり別れるんだから」

 
 自分でそんな逃げ場をつくって、どうしてこんなことが起こっているのか、
なんで、ドラマの中に、こんなことが必要なのか、考えることから逃げて
しまいそうな気がしたから・・・。


 それと、もうひとつはまったくおかしいんですけど、昔の人がよくやってた
ように、願かけてお茶断ちしたりする気分。「達彦さんの生還を祈って、先の
あらすじ断ち」の気分でした。もう、クランクアップまでしてるんだから、
意味ないのはわかってるんですけどね。気持ち気持ち!!


 で、昨日こっそりステラをみました。でもこの2週間のおかげで悟ったの。
「自分の目で確かめないと、面白くない」


 ・・・ますますはまってしまったわね・・・。


 でも、戦争を知ることによって、平和の大切さがわかるように、自分の
思い通りにならないことがあるからこそ、自分は本当は何を望んでいるかが
よく分かるということはあります。いや、引き合いに軽く出してしまった
けれど、達彦さんの不在こそが、戦争を象徴している・・という考えも
ありました。
 桜子の混乱と、それによって引き起こされた、達彦ファンの混乱は、今に
なって思うと、平和のなかの理性が、戦争で混乱するという象徴と実験だった
ように思えるのは、うがちすぎでしょうか・・・。