撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

溶け合う(純情きらり)

 桜子が絵を描く。冬吾がピアノを叩く。不思議な気がした。
冬吾が太陽の絵を描く。亨が太陽に手を重ねる。温もりを
感じるように・・・。


 冬吾が亨を抱きしめて苦しい表情をする顔が切なかった。
見えなくなってしまう・・と。冬吾が絵を描けないでいたのは、
絵では命が救えない・・という思いなのだろうが、その救いたい
一番のことは、我が子の目のことではないのかな・・とふと
思った。だからこそ、桜子のピアノの音に、どこかで心を
動かしてしまう・・。亨がそして加寿子も大好きな音楽だから・・。


 桜子さんの恋心(?)はどう落ち着いたのか落ち着いてないのか
ちょっとわかんないな。彼女の心がからっぽになって揺れ動いている
のは分かる。でも、もともと何を考えて、どうして好きになった
のかあんましわかんない人だし、何に対しても、そんなに執着するような
タイプではなかったからなあ・・。ピアノに対する思いですら、
あんまり描かれてないしねえ・・時々すごくきれいな曲を作って
その美しさで、なんかうやむやに納得させられてたような気がする。
 だから桜子の想いについてはパス!


 笛子の描き方は相変わらずひどい。冬吾に対しての、絵を描け!
ってやつ。とあるブログで、生活を抱えて、一番ぎりぎりだったのは
笛子ではないだろうか?という考えがあった。う〜ん、と唸るくらい
ある意味納得した。桜子が、笛ねえちゃんは妙に明るいし・・とか
いってたよね、少し前、杏子に。


 この大変な時期に、悩めるのはまだ余裕のある人たちなのかも
しれないな・・なんて、今日はすこし笛子寄りです。


 ただ、このドラマを越えて思ったのは、絵だけでは行き詰まるように
音楽だけでは表せないように、ひとりでは出来ないことがあること。
 心を通わせるのは、恋愛感情に限らない。自分とおなじものを感じる
魂に、自分にない輝きに、そして、ともにおなじものを目指すまなざし
に・・・。ひとりぼっちではないということは、あたたかいことだ。
 ・・それを恋愛感情に感じてしまうのは、やっぱり寂しい時かな?


 ぐちゃぐちゃ気味の純情きらりのなかで、このところ、やすじさんの
純粋な(単純な?)人柄がなんか癒してくれるなあ・・・。