撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

生きること・描くこと(純情きらり)

 冬吾が、空襲の中、描いたスケッチを燃やした。炎のなかで、泣き叫ぶ
水を乞う、子供の声が耳に残っている・・・。


 冬吾にとって、描くことは、生きることそのものだったと思う。命も
省みず、あの炎の中に飛び出していったと思う。


 しかし、あの子は死に、自分は生き残った・・・。


 昔読んだ漫画で、写真家の話「あの虹をとれ」というものがあった。
 恋人が従軍カメラマンとして行方がわからなくなり、死んだと聞かされ
自分もカメラに触れることが出来なくなってしまった女性カメラマンが、
子供たちとともに、飛行機事故に遭い、自分の折れた足を引きずりながら
シャッターを押し続けた・・と言う場面があった。まわりの大人に、
「こんな時に、写真なんか!子供を助けないか!・・・あなたも脚を・・」
ってなやりとりがあったな・・。彼女は、「医者は手当を、乗務員は乗客の
世話を、そして、わたしはこの真実を撮り続ける・・・」って決心したけど。
 彼女はそののち、みんな助かったから良かったけれど・・・。


・・でも、冬吾は、助けられて生き残り、自分はあのとき何をしていたか、
といまになって思い起こしてしまう・・。
 画家の使命・・なんていう、言葉ではあらわせない。ましてや、冬吾は
描きたかったから描いただけだし・・。人間として、命を目の前につきつけ
られて絵を描くことが、彼にとってどういう意味を持つのか・・・そんな
深い心の葛藤が押し寄せるんだろうな・・。


 平常と極限・・そのふり幅が今の私達が想像するよりもとてつもなく
大きく、全てを飲み込んでめちゃくちゃにしそうなほどに、ゆくりなく
入れ替わる・・・。それは、想像以上に、心を揺さぶり、時に引きちぎった
のだろう。


 燃え上がって、全てが通り過ぎたあとも、見えない傷跡を残したのだろう。
戦争の傷跡は私達が知らないところでもまだ深く残っているかもしれない。
戦争の怖ろしさを考えるとき、そこまで、考えることをしたいと思う。