撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

いまを生きる(純情きらり)

 昨日見逃して、だいぶ置いて行かれてしまったけど、めげずに・・。


 笛子さんのところに出てきた桜子。笛子の出産って二人目だった
のね!3年ばかし経ってるのね!で、杏子さん、外科の看護婦?
手術中?冬吾さんは絵を描く。それしかない。かずちゃんかわいい!


 浦島太郎は楽しんで居る間に数十年たってしまったけれど、つらく
っても月日は経っていくんだ。達彦さんはどうしているんだろう?
それでも桜子も、山長でも一生懸命暮らしていたんだ。若女将として
頼りにされているようで・・。


 笛子と桜子の顔つきが変わっていたのにびっくりしました。


 笛子の自分を削ぎ落としたような、ただそこにいるような存在感は
なんといったらいいのでしょう?「よくあるんだよ」と動じず、恨まず
かといってあきらめたような悲壮感ではなく・・。東京での暮らしは
いったいどんなものなんだろう?子供を守りながら、それでも絵の具を
買う、と言った笛子に、母と女のふたつの顔を持つ笛子の情念を感じ
ました。自分の中に、家族を守る部分と芸術家の男を支え愛する覚悟
を同居させているのだろうか?そのすさまじいエネルギーと危うい
バランス感覚を想像すると、笛子からやっぱり目が離せないと思う。
それを、重荷とも不幸とも思わない彼女は、やはりそれだけの人物なの
だろう。
 笛子が唯一めげそうだったのは、「あたしだいたいわかるから」という
桜子に出産を任せなければいけない状況になったときですね。
「あんたが〜・・」という笛子の声は、ほんとに情けなかったね!
そりゃ、見てるわたしたちも勘弁してくれよ・・といいたかったよ。


 桜子さんの顔つきも変わってたね。随分おとなになったように見え
ました。冬吾さんに意見するときも、昔とは違ったように思えた。彼女
は、冬吾さんのように芸術だけを自分の存在意義にする人とは違った
んだろうな。自分の家族に加えて、達彦さんの大切にする人たちまで
自分の大切なものになった桜子。「家族が増えたんだよ」という
先週の桜子の言葉は、いかにも彼女らしいなと思いました。彼女の
我が儘にも奔放にも見えた性格は、内と外の垣根がとても低いところ
からきていたのかも・・とも思いました。
 

 達彦や普通のひとたちが、礼儀正しく見逃すようなことまで、桜子は
ずかずかと入って来ることがある。それでも、これと見込んだら自分を
かえりみずその人のために尽くす。(以前は力不足のためよけいな
おせっかいに見えることも多かったが・・)。明日を信じて、今日出来る
限りのことを考え実行する。明日の見えない不安な時代にも、懸命に
「いまを生きている」桜子の姿は、山長でもみんなの支えになっている
ことだろう。なにより、彼女が山長にいる、ということは、「達彦が
帰ってくる」ということを表しているのだから・・・。


 「おれには今しかない」という冬吾。肺に影があったため兵役免除に
なっている状況だったわけね。その肺を抱えていること自体も、彼に
とってはひっかかることなのかしら・・。笛子と結婚しても、子供が
出来ても、妻のお腹に新しい命があっても、それはそれ。それだけで
満足してしまうことは出来ないのが芸術家であるのだろう・・。それは
もう、一般の普通のひとびとが想像することはできないこころなのだろう。
 時折、彼が何故笛子を選んだのかいまひとつ分からなくなることがある。
多分、芸術家がミューズに選ばれた人ならば、その神に選ばれた人を
支える使命を与えられたひと・・というのもあるのかもしれない、と
このごろ思う。


ハチミツとクローバー」のはぐちゃんが、「生きてるだけでいい、
絵なんか描かなくていいから」といわれながらも、生きていることと
絵を描くことは私にとって切り離せない・・と考えて懸命にリハビリを
していること、それを自分の人生を投げ出しても支えようとしている人が
いること・・を思い出して、そのひとたちの気持ちが前より少し分かる
ような気がした。自分はそのどちらの人でもないけれど・・。


 以前見たテレビ番組で、岸恵子さんが、戦争中の自分の子供時代の
ことを話してあった。大きな空襲があって、みんな防空壕に入ったけれど
どうせ死ぬなら穴の中より空の見えるところがいいわ、と思って、大人の
いうことをきかずにひとりで公園の木のところにいたら、自分一人だけ
助かってしまった・・と言う話。あのときから、自分のことは自分で
決めようと強烈に思った・・と。小さな子がよくそんな決断を・・と
司会の人が驚いていたのに、「そういう時代だったのよ。目の前のことを
考えて決断しないとやっていけないような、毎日がそんな毎日だったから」
と、さらりと話しておられた姿が、すごく潔くて、すごく美しかった。


 今の毎日は、何も考えなくても、どちらを選んでも、大して違わない
明日が、何もしなくてもやってくるような気がしている。それでも、
本当は、絶えず選びながら生きていくのだろう。小さな分かれ道を何万も
何億も選びながら、自分の人生はできあがっていくのだろう。同じ数の
遺伝子情報を持ちながらも、だれひとりとして同じ人間がいないように、
だれも、自分の人生をひとに譲ることも出来なければ、ひとの人生を
欲しがっても、もらうことも、なぞることすらできないように・・・。


 戦争中という厳しい状況だからこそ、鮮やかに浮かび上がる生というもの
があるのだろう。ただ、忘れてはいけないのは、いつの時代もどんなひとも
おなじ命だということ。明日が見えないのは、状況こそちがうものの、
いつもおなじことだということを心に留めておきたいと思う。