みどりのなかの吾輩(吾輩は主婦である)
赤パジャマへの遺書は長編である。さらに続きもの!ちょっと遊んでない?
漱石は、この家族となんの縁もない。なんのしがらみもない。
だからこそ、そのひとそのものが見えるのか?
赤パジャマ、いや、たかしは音楽が好きだ。ミュージカルを愛してる。
みどりちゃんを愛している、あの同じひたむきさでミュージカルを
愛している。だからって、いきなりグランドピアノをプレゼントするのも
どうかとおもうんですが、漱石。着払いだし、出世払いだし・・・。
みどりちゃんを追いかけて、漱石をみていなかった・・と嘆くたかし。
まあ、この場合、仕方ないよね・・と思いますが。これがもし、昨日まで
の彼女(彼)を追いかけて、今目の前の彼女(彼)を見ていなかった・・
と置き換えたら?
目に見える彼女(彼)に、とらわれて、本当に彼女(彼)が考えている
ことを聞こうとしなかった、わかろうとしなかった・・・とか。ああ、
それはよくあることのような気がしてきた。
決して愛してないわけではないけれど、もどかしさも、憎しみさえも
愛情の一部だとは思うけれど、それでも素直になれないのは何故なんだろう。
「吾輩は主婦である」となんのためらいもなく言い切る(しかも何度も
何度も)吾輩・・・。それは、じぶんの今を懸命に、なんのためらいもなく、
ただ受け入れている、吾輩の潔さと愛すべき人間としての資質・・そう思えて
ならない。