撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

そばやのち本屋 時々モスバーガー BGMはラブソング

 ひさびさお昼を外で食べる。車を出すかわりに(?)おごってもらった。
仕事ドライブのあと近くのお気に入りそばやへ。ビールがつかないのがちと
不服だが、昨日の今日なので、けっこうです。非日常に飛べる日でもないし。


 そばを堪能したあと、車に乗り込んで「アイスクリームが食べたい!」
ということで、最寄りのモスバーガーへ。玄米フレークシェイクを所望。
モスのたべものは、どれもおいしいからいいんだけど、ただひとつ注文を
つけさせてもらえば、ただのシェイクはいいんだけど、うえにいろいろ
のったやつを頼むとどこの店でも必ずといっていいほどアイス部分が溶けてる
のよね!もう少し固めだともっとおいしいのに・・とそれだけが残念です。
マニュアルの手順かなんかで改善できないのかな〜・・・。気になりながらも
店で言うには至らず何となくいつも気になってます。


 笑ったのは、そばやにいたカップルに、モスバーガーでも会ってしまった
こと。同じ気分の昼御飯だったんですね。見知らぬ人なのに、お互い気付いて
思わず帰りぎわにはどちらともなく挨拶してしまった。今度会ったらお話して
しまうかもね!


 本屋では、茨木のり子さんの「おんなのうた」をみる。「じぶんの感受性
くらい」もいいな。谷川俊太郎さんの何だったっけ「真っ白でいるよりも」
だったっけ?それもすごく気になって、とても決められずに買わずに出てきて
しまった。図書館で借りて、自分のノートに自分で写すというのもいいな。
コピーはダメです、この場合。ってなに決めつけてんだか!いえいえ、自分の
ものにするということは、買うか、書き写すかどちらか・・というほどの
意味です。


 茨木のり子さんの詩の中に、・・・年老いても、咲きたての薔薇・・という
部分があり、とても気に入った。大人になるということは、すれっからし
なることではない・・と。いいしごとをする人のこころのおくそこには、
やわらかく傷付きやすいアンテナがあるのではないか・・と(日本語なのに、
意訳してしまってますけど)。ひとやものに馴れてしまって、ひとをひととも
思わなくなってしまった時、ひとは堕ちていってしまうのではないか・・と
ありました。「自分の感受性くらい」はとても潔い詩でした。どれも、時代を
見て来た方が、まん中の真実だけをわたしたちに伝えようとして下さっている
のが感じられます。もっともっと知りたい、読みたい、と思いました。もっと
早くに気付いていれば御本人にもお会いできただろうにと思うと残念ですが、
詩人は詩を残して下さいます。それを受け取りたいと思います。


 谷川俊太郎さんの詩は、なんて柔らかい、なんて瑞々しい、そしてなんて
色っぽいんだろう!(いろいろあるんですが、今日であったものは・・。)
生きていることと愛することに力をもらったような気がします。


 そういえば、憂歌団の木村さんにお会いしたとき、歌を聴いた感動覚め
やらず「木村さんの歌って、こんなにラブソングだったんですね!!」
というと、「そうよ!全部ラブソングよ〜!」って言われたことがありま
した。愛なくして創作活動なんかできない!!そうだよね!!!


 まあ、そばやからずいぶん遠くきたものですね・・・。