撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

食卓の風景

 家族のスタイルというものはいったいいつの間に出来上がるのだろう?


 家族というものの形が何かに現れるとしたら、わたしは、食卓も
そのひとつに数えていいと思っている。小さい頃、食卓には必ず
父がいた。そして、料理をつくる母。いただきますからごちそうさままで
必ず決まった席に父がいた。思春期になろうが、年頃になろうが、その
時間だけは神聖なほどに家族3人で過ごしていた。食べ終わった途端に、
なにか聞かれても「べつに・・」と振り切って自分の部屋に逃げ込んで
しまうことはあったとしても・・。


 あの食卓の吸引力は何だったんだろう?犯すことの出来ない雰囲気は
何だったんだろう?父も母もいない今、私にとって、宝物のような時間に
昇華していっている。


 父に比べると時間の不規則な夫は、父のような食卓の基準点には
なってくれない。それでも、あの食卓をつくりあげたいのなら、物理的
ではなく、もっと本質に潜んでいた、母の努力こそを思い出さなくては
いけないのかも知れない。


「献立なんて、そんなに前から決められるわけないじゃない!
 その日のお天気とかみて、今日はなにが食べたいかな〜って
 考えるんだもの!」と笑っていた母。


「この卵焼きめっちゃおいしい!」
 遅れて起きてきた長男に、今朝、二度目の卵焼きを焼いて出してやったら
もらった言葉。


 同じ形にはならなくても、家族の気配を感じながら、おいしいものを
食べる・・それだけで、いつか食卓の記憶として残るのかも知れない。