撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

不自由さの意味

チャットで友人と話しててふと思ったこと
どこでもドアができたらいいなってよく言うけれど
本当にそうだろうか?って
絶対できないと思ってるからあれって絶対すごくて素晴らしいものに思うけど
もしふつうに手に入るものになったらやっぱりいいところと悪いところとでてくるんじゃないかな?



携帯電話のように
パソコンのように
ビデオレコーダーのように
車のように
エアコンのように


本当は
それがないと困る人だけ使うべきじゃないだろうか
それがあるおかげで普通の人と同じように楽しめる
っていうくらいのひとだけがつかうべきじゃないだろうか



携帯電話のおかげで待ち合わせは苦手になるし
敬語だって電話の取り次ぎだって知らない子も増えるし
バスの乗り方も電車の乗り方もだいぶ大きくなってからってなるし
エアコンつけなきゃいられないくらい室外機で温められるし
汗のかきかたすら忘れちゃいそうだし
かといってそれがなかったころに戻るのもずいぶん大変そうだし・・
ひとはいろんなものを持っているのと同じくらい
それを使わないこと使わせないことの強い意志を持たなくちゃいけなくて・・
そっちのほうがよっぽど大変だったりして・・・



パソコンの前にすわりながら考えててもあんまり説得力ないけれど


いつも思い出すのだ
映画館までいけなくなった母にこそ
ビデオで「王様とわたし」を見せたかったと
数年後に買った時、本当にそう思ったと
イカが食べたいな・・と3月につぶやいた母を思い出すと
どうしても露地物のスイカしか買えないわたし