撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

大切なこと

少しは落ち着いてきたかと思ったら
またもや何度も放送される大きな余震とその被害
どうしてまた?立ち直ろうとしているところに何故?
と、心かき乱される


一方でどこか地震のことを忘れようと考えてはなかったかと自問する
なにもできないことが歯がゆくて
普通どおりの毎日を過ごしていることに少しばかりの後ろめたさを感じて
かえって知らず知らずのうちに見ないふりをしていたのではないかと思ったりもする



・・・と書いていたのが昨日の朝
どうしてもそのあとに続ける言葉を見つけられずにそのままにしていた
なにか言いたいことはあるのに・・・
なにか書かなければならないことはあるように思うのに・・・


今朝、マイアンテナに登録している
「吐息日記」を拝見する
わたしがただ思いめぐらしていた間に
御自分の場所も地震で安心ではないのに
それ以上にいろいろなことを考え、調べ、そして書いてくださっているのをみた


どこかでおかしいと感じていたことがそこには克明に書かれてあった



わたしはまだ自分でなにも調べてもいないし確かめてもいないので
彼女のようにはっきりとそれをここで書くことはできないけれど
ただ思う


このところの日本の様子はまるで戦時中じゃない?
(もちろん体験したわけじゃないから本当のところは分からないけれど)
自粛だとか我慢だとかいうのもどこか非常事態っぽいし
現場とそうじゃない場所があるっていうのも多分戦争初期はそうだっただろうし
もう動き始めてしまった被害者だとか命をかけて仕事をしているひとなんかも
まるで戦争でなくなったひとと戦地に赴く兵隊さんのようだし・・



もちろんちがうところもいっぱいある
それに戦争と似ていようが似ていまいが
戦争で起こした過ち(もしくはそれと似た種類の過ち)を繰り返さないのが
戦争を経験ででも勉強ででも知っているものたちのつとめっていうものだと思う



わたしが強く思うのは
人の命を危険にさらすようなものはどこか間違っているのだと思うこと
間違っていると気づいたらなるべく早くやめるか立ち止まるかするべきだってこと
気づいているのに知らんぷりをしたらそれは許したことになるってこと
大きな力にかなわない小さな力でも本気になれば少なくとも流れを止めることはできるってこと
嫌なことは絶対嫌だってどんなに小さな声でも無言の抵抗でも続けること



いつも思う
経済至上主義だっていうのなら
プラスだけでなくマイナスだってきちんと計算してほしい
危険や不安、なにか起こった時の損害賠償から
地球を汚して使えなくするマイナス分まで
そこまで入れたら戦争だって原子力発電だって
大切な税金をつぎ込むものじゃないと思う


もういままでのことは言えない
でもこれからは・・・・・



暖かな・・明るい・・幸せに向かう・・・
そんなもので世界を作り上げていく努力をしたいし、そういう考え方を応援したいと思う