撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

いのちに仕える・・・辰巳芳子さんの食卓

食は命のいとなみ
料理をつくることは命への祝福


なんだか細胞にまでしみわたる言葉がいっぱい出てきた
いのちのスープが話題になったときいちど読んだりしたのだけれど
どうも受け付けなかったのは
彼女の姿勢が生半可なものではなかったことが伝わったからなのかもしれない
母から受け継いだ料理の心の場面では涙がでて止まらなかった
母が病気になって亡くなっていったあと
何もできなかった自分(できていなかった自分)に気づくたびにつらかった
当たり前になんといろいろなものをもらっていたことか!
という彼女の言葉がとてもわかるから・・・
そしてそれを次々に実行して自分のものにしている彼女にどこかで
嫉妬を感じたのかもしれない・・・それと知らずに・・・
またはできていない自分が恥ずかしくて本すらも手に取る資格がないと
感じたのかもしれない・・・
すべて今思えば・・ではあるけれど・・・


今回のテレビ番組で一番印象的だったのは
スープのお料理教室で生徒さん達に
「これまで教えたスープを実際におつくりになりましたか?」
と聞かれた場面
ほとんどのひとが習うだけでまだ作っていなくて
ちょっとがっかりというか、あらあら・という感じ
辰巳さんは実際に作ることによって気づくこと得ることがあると伝える
これはとても感じるところがあった
まあ、正直にいわれるところがいいわねえ・・とフォローして笑わせてくださったけれど
あれから本当にスープを作ったひとはどれくらいいるのだろう?
ここに習いに来られる方は恵まれているんだから・・というようなことを
いわれたような・・・
すこしでも幸せなひとは幸せを自らも作り出していく義務があるのではないか
とおもう・・すくなくとも幸せを感じる能力があるだけで幸せなのだろう


自分ひとりのために料理をするのは面倒くさくないですか?というような問いに
いつかはそんな日がくると思っていた
そのときにどうしなければならないか?
自分の命に仕えるということ
自分の命は自分だけのものではないということを知ること



誰かのために・・というのは大変だけれど反面なんとも甘い香りがする
自分だけのためにどうするか?
それはすべての飾りやしがらみをふりほどいたあとの自分の生き方に
繋がる気がする
自分にはなにが必要なのか、何を大切にして生きていきたいのか
そこまで考えるとまた家族に対して、周りの人に対して
自分が曲げられない部分や、伝えたいことなどが見えてくるような気もする



ひとりで、スープをつくり、お魚をソテーして
ワインをグラスに注いていた彼女の食卓を見て
なんだか年をとることも一人でいることも悪くないような気がした
生きているだけでそれは十分に幸せで・・そして価値のある仕事をしているのだ
という気がしてきた