撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

幸せな商売(てっぱん)

一日工場にいてもかつおぶしでやりとりしとる
自分が作ったもんおいしいなあってたべてもらう
幸せな商売や


ぼくのほうが相手してもらっとるのです


料理しかできんさかい
これをあきないにしとるだけや


いただきますもごちそうさまも要らないの?
食べ物が可哀想や
損しとる



これは食べること・食べ物を考えることを通じて
幸せを探していくドラマなんじゃないかしら?


ひとつはやりとり
もうひとつは商い・・損しないこと


それはいのちをまるごといただくという食べることの神聖さと
食べるものを守ることは自然を守ること、ひいてはいのちを守ることに
つながっていくということ
地球のあらゆるものの循環は、ひととひととのやりとりという
ちいさなでも大切な、手を取り合うようなことからはじまっているのではないか?
商いは飽きない・・本当に必要なもの、本当に好きなもの、で生きていく幸せ
損をしないさせないということは、誰かのものを横取りしたりひとと比べることではなく
自分の目の前のものを大切に精一杯輝かせることではないか?
たとえば大根の皮までおいしく料理することのように・・・


やりとり・・・これはちりとり
今日のこれは微笑ましかった
冗談や駄洒落はそれそのものがよくできているかどうかではなく
笑ってくれるひとがいるか、笑ってくれる雰囲気があるかどうか
が、大切なんだね


そういえばどこかで聞いたことがある
「何を食べるか・・ではなく、誰と食べるか・・だ」
大切なひとと大切な時間を過ごすことを考えると
いつの間にかその食卓も大切なものになっていくような気がする