撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

旅の終わり

旅の朝はいい
何もかもが前の日から自堕落なまま放りだされているのも
いっそ潔いほどにいい
食べ疲れて乾いてしまったチーズやら
グラスの氷が溶けてしまったけだるい水やら
ワイングラスに名残だけのこるルージュの影やら
バスタブで幸福の余韻に使っているように斜めになっている
ワインクーラーのなかのシャンパンの空き瓶やら
それらの日常の中ではではだらしない残骸が
思いっきり明るい朝日に晒されているのを見るのも
このホテルの大きな窓を背景にするとよく似合う


そしてそんなものをふふんと鼻で笑いながら
お構いなしでバスタブに新しいお湯をはる


朝からのんびりしようかと言ってたところに
あの人の携帯のベルが鳴る
首にかじりついていたずらしようかと思うと
緊張が走ったからだの様子でその電話がただ事ではないものだということが分かる
悪い予感を振り払うようにさりげない顔を装って
先にバスルームに行ってるねと目配せしてから視線をそらす
バスタオルで見ないようにしてバスルームに退場する私


音もたてずにバスタブに浸かっていたら
ガラス越しにあなたがごめんって電話を持ったまま立ってた
そして一人部屋に取り残された私


何がおこったかなんかどうでもいいのだけれど
最高の気分が崩れたことだけは確か
もう気分は悲劇のヒロイン・・困った性格が出る
昨夜の残りのボトルワイン
ああもうこのボトルを壁に打ち付けて狂言でもやってやろうか・・と
想像力だけはたくましいけれど
痛みの割りには、効果よりも面倒くさいことのほうが多いことも想像できる
バスタブに向かってまっさかさまにしてバスタブを血の色に染めるだけで十分
まだたっぷり残ってると思っていたワインは
いがいと瓶の重さがあったことに気づいてひとり笑った
それでもこんなに濃いワイン風呂は初めてで
ひとり顎まで埋めると昨夜以上に酔いが回りそうだった


あなたは間もなく帰ってきて今回の旅の終了を告げる
ああ・・その役だけはわたしがやりたかったな・・
二人同時に余韻を持って別れるのが一番
そうでなければさよならは私のほうから・・
嘘でもいいからあなたに引きとめてほしかった


旅の続きはまた・・とあなたが優しく言う
ええ・・いずれまた・・と言いながら
わたしの心の中にはあの人が知らない
あのバスタブがルージュに染まった景色がぼんやりと浮かんでいる