撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

楽しむこととは?

 楽しむこととは楽をすることではない。そのことに真剣に向き合うこと・・。しかしながら、それをすることは難しい。ましてや、それを教えることはとてつもなく難しい。親は基本的に見守ることしかできない。それでは指導者は?


 昨日、次男の三者面談に行った。担任は親友の旦那様。まったくすごい御縁というもの。三者から二者に変えての少しの時間の会話で、親としての気持ちを少しだけ語り合う。うちは中2だが向こうは中3。来週は自分も三者面談に今度は親としていくが、どんな話をするかもうシュミレーションどころかまるっきり想像がつくのがつらい・・って。もう・・お互い勉強しない子供を持っての苦労をこぼしてたりして・・。


 やる気がないのが一番つらい。親としても指導者としてもたぶん・・。でも指導の大原則は褒めて伸ばす。それがうまくできないのは、多分、無理して褒めようとしているか、褒めるところを見つけようとしていないかどちらか。公平を思うあまりに、全員にできないときは誰にもしてはいけないような気がするけれど、それは間違いだと思う。誰の目にも頑張ってる子は、みんなの前で褒めてやっていいと思う。そして、誰に気づかれずとも頑張っている子にはさりげなく褒めてやればいい。その子なりの小さな進化を見つけてくれるだけで、その子はきっとその指導者を認めることだろう。


 そういえば、上の子の小3の時の先生は、ありとあらゆることを褒めてくれていた。授業参観に行くと、一時間の間にすべての子を褒めているのではないかというように、発言するたびにその子のいいところを見つけてみんなに伝えてくれていた。不思議なもので、最初はわざとらしい?と照れていた子どもたちも、だんだんに自分なりにひとのいいところを見つけるようになっていって、半年を越える頃には何ともいい雰囲気のクラスになっていったのを知っている。


 誰にとっても貴重な時間だけれど、子供たちにとってはこの成長する時間というのはかけがえのない、取り返しのつかない時間でもある。大人として、子供たちの可能性が最大限に開花するような働きかけがなんとかできれば・・と思う。こんなことを思うのも、我が子が18と14という、もうすぐ手を離れていってしまう年頃に差し掛かっているからだろうか・・。


 以下、藤島大さんのコラムを紹介させてもらう。漠然と考えていることがすべて書かれていることに・・・やっぱりこのひと凄い!好きだ!と思う。
http://www.suzukirugby.com/column/no_56.html