撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

お茶漬けで思い出すこと

 先日のこと、買い物途中にふとみつけてずいぶん久しぶりに塩昆布を買い求めた。さりげなく食卓に乗せておくと、目ざとい長男が手を伸ばす。数回食べてのち、「これでお茶漬けしたら、めっちゃ美味しいし!」。と、発見を伝えるかのようにみんなに教えてくれていた。
 ふと、笑みがこぼれてくる。
「あのさあ・・おじいちゃんって、いつもお茶漬け海苔でご飯を締めくくっていたけれど、もっとずっと昔は塩昆布でお茶漬けしてたんだよ」と、話すと、「うそ!知らんかった!」
 確かに彼が生まれてからはもう塩昆布は使っていなかったから、彼がこの食べ方は自分のオリジナルだと思っても不思議はないだろう。ダンナですら知らない事実かもしれない。そう・・わたしが小さな頃だから・・。


 そうして、またふと思い出したこと。いつもは市販の袋入りの細切り昆布の塩昆布を使っていたけれど、たまにいただきものがあると、木箱に入った極く上等の、四角い塩昆布や、佃煮などが食卓に上ることもあった。父はそれらを区別して食べることはなかったが、普段は食べない母が、そんな頂き物の時だけは、私と一緒に小皿にとって、味わっていたように記憶している。つやつやと光る昆布の黒や、佃煮に入っている山椒の実の味わいなど、味覚の記憶のどこかに刻まれているような気がする。


 決して贅沢ではない食卓ではあったが、折々に美味しいものを大事に味わうことをどこかで教えてもらっていたような気がする。父がいなくなってから、食卓の基準点に座るひとがいなくて少し寂しい。それとも基準点を定めさせていたのは母だったのか・・さて、我が家の食卓はどんな形になるのか、慌ただしい毎日を少し反省してみたりする。明日は父の命日・・というこの日。