撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

 久しぶりに逢えるから旅に出ようとあなたが言う。小さな小さな
日常を抜け出す旅。


 海を渡る。自転車や小学生と一緒に船に乗り込む。フェリーと呼ぶ
には微笑みがこぼれる渡船。さっきふたりで通ったホテルが小さく
なる。あなたがわたしの写真を撮ろうとする。ふざけると波間にカメラ
を落としそうな気がして、神妙な顔をしてじっとしている。きっと
まぶしい瞳をしているはずだ。波が魚の鱗のように煌めいていた。


着くとすぐ魚料理を食べさせる店を探してはいる。いいの?まだ
なにも見てないよというと、わたしを見てるからそれでいいよという。
わたしが何も言えないでいるとあなたは大きな声で笑って、ほら、
二人で昼間からお酒飲めるときって少ないだろって。いつもひとり
ワインを飲んで助手席でご機嫌になっている私は、ちょっと申し訳な
くて、そうだね、早く行こう!って元気に歩きだして現金だねって
また笑われる。


 店はひんやり冷たくて、夜の余韻を残したようにすこし艶めかしかっ
た。今日初めての客の私たちは、少し遠慮がちに注文した。しかしなが
ら、サザエの壺焼と穴子の天ぷらが届いた途端にそんな名残も遠慮も
どこかに吹き飛んで、二人でビールと日本酒まで頼んで楽しんだ。


 満腹になってもちろんご機嫌になって島の中を歩く。立て看板を
みるとどうやら丘の中腹に記念館だか美術館だかあるそうだ。ふたり
手をつないで歩く。あたりにはだれもいない。ときおり見かける島の
住人はとても素敵な島の風景に溶け込んでくれていて、わたしたちの
ことなど気づかずにいてくれる。


 美術館は休みだった。よく見ると、休日しか開いてないらしい。
またふたりで笑った。そして日傘のかげでキスした。


 それでは確かだれだっけ、有名な作家さんの家があったよね、家を
捨ててこの島に移り住み、愛人と暮らしてたとかいう・・そんな場所が
島の観光案内の地図に載ってるっていうのも面白いよね、といいつつ
丘を下る。途中であったひとに場所を聞いてみる。その地元のひとは
場所を教えてくれて、もひとつ「いまはもう建物はなくなってるよ、
息子がその場所に新しい家を建築中さ」と情報をくれた。


 息子は作家だったか?料理家だったか?とにかく、建築中の家なんか
みてもしょうがない。できればその昔住んでたふたりがどんな景色を
見ていたか・・それなら見たかったのだけれど・・。それにしても・・
小説にもなるような色っぽい話も、いつのまにか許されて、そのうち
現実に押しつぶされてしまうんだと思うと、ちょっぴり寂しいやら、
また、なんだかおかしいやら、つないだ手を見てふたりでくすって
笑った。昼間のアルコールのせいでわたしたちはずっと笑っている。


 帰りは島を見ながら帰った。漕ぎゆく船の習いにて・・という一節が
浮かぶ、白い波を見たけれど、ぜんぜん寂しくならなかった。今日は
ずっと一緒にいられるから・・。
「旅っていいよね」
ってあなたが言う。いま、考えてたことが伝わったような気がして、
「うん」
って、あなたの腕に私の腕をまわした。