撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

優しい日本語から考えたこと

 昨日ニュースを見ていたら、新茶の収穫の様子が映されていて、
「今年は雨もいただきましたから・・」と、言ってらっしゃるのが
聞こえた。


 ちょうどよい雨に恵まれて、よく育った・・ということだったの
だけれど、「いただいた」という言葉が、なんとも優しく聞こえた。


 雨を降らせるどなたかにいただいた・・という感じかな?降ったで
はなくいただいた・・という表現かな?それとも・・・。
 ああ・・何だか、自分が水をもらってのどを潤したような、何だか
お茶の木そのものになったような、お茶の木に寄り添っているような
心を感じたからだろうか・・?


 目の前の柔らかな新芽を、嬰児(みどりご)のように慈しむ眼差しを
もったひとの畑から届き、わが子のお風呂上りの髪の毛を拭くように
蒸しあがったお茶の葉を揉むひとの手を通った新茶は、きっと茶畑を
渡る風の香りを運んでくれるんじゃないかと思った。


 一方、今朝のニュースではアメリカからの牛肉に危険部位が混ざって
いたとのこと。吊るされた大きな牛肉を次々に処理している映像に
何だか・・アメリカがどうのというよりも、輸入してまで肉を食べると
いうこと自体が考え直さなければいけない部分なのではないだろうか?
と、ふと思ってしまった。