撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

持っている幸せ(ちりとてちん)

 ひとは自分が持っている幸せにはなかなか気づきにくい。
出来ることの数を喜ぶよりも、出来ないことを嘆くことの
方に熱心になってしまう。ほんのちいさな違いでも、草むらの
なかの光る石を拾うよりも自分の手の中に何もないことを
悲しがることの方が簡単ではあるから・・。
 自分なんか・・と言いながら、自分が一番可愛いのだから。


 落語家になりたいのなら、今やっている家事を、修行を
頑張れ・・その中にひとを喜ばす落語に必要なものがある・・
と。ひとを喜ばすこと・・。家事の意味・・。心遣い・・。


 ひとが気持ちよくなって喜ぶことを自分の幸せにする・・
難しそうで、実はとても簡単なことで、でもやっぱり難しい。
愛するひとの幸せは自分の幸せであるけれど、それでもやっぱり
ひとはひとで自分は自分。自分が幸せになるために人を幸せに
するなんておかしいし、ひとの幸せだけを願うといったら
それもまたすこしばかり違ってくる。


 機嫌よう・・機嫌よう・・ぎょうさん笑うことができたら・・
幸せだと言葉をくっつけるよりも、こぼれる笑顔がひとから
ひとへと溢れつながっていけたら・・。


 自分の手の中にはなにも持っていないと思っていても、意外と
気づいていない幸せに包まれているものなのだ。持っているもの
にはなかなか気づかない・・持っている間はなかなか気づけない。