撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

あいたくない(どんど晴れ)

 父親は自分を捨てたのだ。もうどうでもいいし、逢いたくも
ない・・という柾樹。


 「自分の子供を大事に思わない親はいない。」
 父親が亡くなってから、自分への父親の想いを知った、子供を
持ってから親というものの気持ちがわかったというマスターは
柾樹にそう言う。生きているうちにあっておけ・・と。


 相手の気持ちは分からない。あるのは自分の淋しさだけだ。
どんな事情があろうとも、どんな愛情を持っていようとも、そんな
ものは淋しさを埋めることは出来ない。自分が相手を恋しく思えば
思うほど、逢えないことは、話せないことは、どうしようもない
仕打ちに思える。自分にその術があれば、どんなことをしてでも
逢いに行くのに・・それほどまでに恋しいのに・・。大人なら
そんなこと出来るはずなのに、何もしてくれないなんて自分の
ことを愛してないんだ・・。自分が思うようには相手は愛して
くれていないんだ・・。


 自分のどうしようもない心が壊れそうになる。淋しさで狂いそう
になる。そんなときに自分の身を守るためには、心に固い殻を
被るしかない。恋しい気持ちを隠せるほどの・・淋しい心を支える
ほどの・・憎しみを塗り固めて殻を作るしかない・・・。


 そして痛みを感じないように忘れてしまおうと思う。


 マスターも、親とどうしても上手くいかなくて、逃げてきたの
だと思う。あいたくない・・と。人と人との気持ちが通じ合うため
には、どれだけの時間がかかるのだろう。深く関わろうとすれば、
必ずそこには苦しみを伴う努力が要る。親子だって、そうなのだろう。
何も苦労の要らない組み合わせもあれば、どうしても相容れないと
思うほどの組み合わせもあるのだろう。他人だったら許せることも
身内だからこそ、親しい関係だからこそ許せないこともあるし・・。


 生きているうちにあっておけ、でないと後悔するぞ・・と柾樹に
いうマスター。相手の事情が分かったところで、自分の淋しさが
埋まるわけではない。これまでの、子供の自分を考えると、やはり
自分を置いていった親は許せないとは思う。子供とはそういうものだ。
当たり前に幸せであってほしい存在なのだから・・。
 それでも、大人の自分が納得できれば、お前は愛されていたんだぞ
と、子供の自分に言ってやることができる。今の自分が素直に泣く
ことができれば、硬い殻を脱いで、柔らかな気持ちに戻ることが
できる。


 逢いたくない・・と言える人はまだ幸せだ。逢いたいと言っても
もう逢えないひとに比べれば・・・。