撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

言葉の重さ(さくら)

 さくら先生の授業にひかれながらも、沢田先生に強い態度で
確かめられ、その気持ちを言えず、かえってさくら先生の授業を
否定するかたちになってしまった生徒たちの行動。ショックを受け
学校を飛び出し帰ってこないさくら。


 僕たちのせいだ・・と落ち込む生徒たちに、覚悟の上でやったこと
だろう?こうなることは分かってやったんだろう?と桂木先生。
生ぬるい反省をして自分の言い訳をするのではなく、まず自分のやった
ことを認めろ、味わい尽くせ!と。


 生徒たちは、沢田先生に反撃ののろしを上げ、さくら先生の授業を
受けたいという。おじいちゃんに言われたようにけじめをつけようと
学校に来たさくらはその生徒達を見て自分のために・・と感動するが・・。


 あんな卑怯なことをして・・沢田先生にきちんとあやまれ!と言った
桂木先生が気持ちよかった。


 誰も言わないことをただひとり発言するのは、大変なことだ。上から
抑えつけられたなかで、それに反する自分の意見をいうこともとても
勇気と覚悟のいることだ。その一言は、とても重い。まだちいさな子供
にはなかなかその中できちんと責任ある言葉を発することは難しいかも
しれない。決して間違ったことは言っていない沢田先生も、理不尽な
ほどに子供に圧力を掛けるという点ではいささか大人げないとも言える。
一旦その力を跳ね返すと、子供としてはあのようなはやし立てるような
集団のかけ声になってしまうのだろうか?私がもしさくらだったら、
子供の気持ちはうれしいが、あの場面はいたたまれなくなってしまいそう
だ。とても笑顔にはなれない。


 保健室でのさくらしかり。何にも悪くないけれど、保健室の先生が
いるところで、あんなに無邪気には話せない。どんなにいい子でも
やはり、すこしばかりの国民性の違いがこういうところに表現してある
のだろう。以前はさくら本意でばかり見ていたが、今回はその違和感も感じる
ことができる。だからこそ、その違和感を指摘し、隙間を埋めてくれる、
おじいちゃんや、れおなるどの奥さん鈴木砂羽、そして桂木先生らが一層
魅力的にみえる。


 桂木先生がさくらに「謝ればいいと思ってないか?なんか言葉に重みが
ないんだよな、おまえは。心がこもってないっていうか・・」というのが
笑った。いるいる・・そんなの。外国人でなくても、日本に生まれ、育ち
ながらも、言葉の本当の意味を考えることなしに慣れない言葉を使って
いると、全然言葉に存在感がなかったりするから・・・要注意。