撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

思い出

 あのひとに何度抱かれただろう。心が寄り添う前にもうあのひとは
わたしを引き寄せ抱き寄せた。まるでそうなることが決まっているかの
ように、あのひとはわたしを抱きしめた。初めてふたりきりになったとき
に「ずっとこうしたかったんだ」と抱きしめられたあのひとの胸のあたた
かさと腕の力を今でも忘れない。そして、初めてなのに懐かしい胸が
あることをわたしは初めてしったのだ。今までひとつの区切りで、とも
すれば終着点だと思っていた安定のかたちが、ほんのはじまりに過ぎないと
教えてくれたのもあのひとだった。


 あのひとの胸の中で孵りそして羽ばたいていく鳥のようだ。


 そんな親鳥のように大きく、ある時はその落ち着きが腹立たしいほど
大人だと思っていたあのひとが、いまは、鏡に映る自分のように見える。
あの日、あのひとを受け容れて、何故だか涙を流した日、自分のことばかり
考えていた私には、あのひとの気持ちなど何も見えていなかったのかも
しれない。あの人の胸が懐かしいと思ったわたしと同じように、あのひとも
わたしの乳房に頬を寄せていたのだろうか?


 初めて受けるあのひとの涙を肌に感じながら、ふたりが溶け合っていた
ことを、思いだしていた。あの初めてのキス、街角の会話、美味しい食事
秘密のやりとり、車の中で握りしめた手、雨の日の不機嫌、川面に降る雨、
白い夏、どれだけの思い出を、消えない鮮烈な思い出を共有したことか!


 レッスンというには苦しい日々、思い出と呼ぶには生々しい痛み。いつか
そう呼ぶことがあるのか、なんの為に出会ったのかと悩んだ日々。


 必ず恋愛には終わりがあり、別れが来ると思っていた日々。レッスンも
思い出も、次の恋のためだと思っていた頃。別れたくない人に出会って
しまったらどうしようと怖れていたあのころのわたし。すべては未来の
ためにあったのだ。永遠を誓うことはなくとも、想いを捧げ続けることを
誓う・・。永遠は刹那の繰り返し。振り返れば思い出が未来に向かって
背中を押すように散らばりきらめいている。