撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

ほんまのこと(芋たこなんきん)

 本当のことは自分にしか分からない。ほんとうに自分で考えて
自分で手に入れるしかない。まわりのみんなは、その人のことを
考えてあげることしかできない。考えてくれるひと、見守って
くれるひとがいることも幸せなことではあるけれど・・。


 親としては、どうぞどうぞ・・と許せないこともある。だからと
いって、最後の最後まで見張って止めることも出来ない。そんな
ことをするのは、本当に自分の体を張って、これだけは許せないと
いうような極端なことだけ・・。自分の命にかえても・・という
ようなことだけ・・。あとは、精一杯自分の気持ちを伝えること、
そして子供を信頼することしかできない。それは、子供が大きく
なってくればくれほど・・。何もかもを親に委ねていた赤ちゃんから
だんだんと独り立ちしていくのだろう。そして、その離れ方は
その子ごとに違う・・その親子ごとに違う・・。でも、町子のいう
ように、そんな時が誰にも来るのだから、焦らなくてもいい・・
しかし反面、親としてはその準備をしなければ・・子供に今の
うちに伝えなければ・・とも思う。・・焦らずに・・・。


 町子と寛司のやりとりも印象的だった。人間はお互いに影響を
与え合って生きていく。一人ならばどんなに気楽かと思うことも
あるが、それでもひとりだったらこんなに突き動かされるような
衝動に背中を押されて何かを求めることがあっただろうか?何かを
守ろうと、強い、暖かい情熱に動かされるだろうか・・・?


 遠い未来のことは分からないが、明日も愛する人の笑顔をみたい
と思う。愛しい人が見る夢が叶っていくのを見たいと思う。そして
その時、自分が何を考えるのか、やっぱり感じてみたいと思う。


 いい写真やなあ・・いい仕事したなあ・・いい顔してるなあ・・。
また逢おう・・待ってるから・・必ず生きて帰って来い・・。


 家族に笑顔で行ってらっしゃい、お帰りなさいを言えるのも、
当たり前に見えてとても幸せなこと・・。出会った人と、また
逢いましょう、また一緒に笑顔で語り合いましょう・・と・・。
そんなことを言える、穏やかな港のような存在でありたいと思う。