撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

冬吾さんの日!?(純情きらり)

 冬吾のなかには絵描きの部分と一般の部分がある。絵描きの部分は
強烈な冬吾の個性であり、存在意義だ。それは、ほんとうのところ
誰にも入らせることの出来ない冬吾だけの部分なのかもしれない。


 笛子はただ、冬吾を愛している。自分のまるごとで、冬吾のすべてを
愛してるんだろう。普通に誰かを愛するときに、そのひとのここの部分
なんて考えない。好きな人が一生懸命になっているもの、大切にしている
ものを一緒に大事にしていきたいと思う。自分なりのやり方で応援したい
と思うのも自然な気持ちだろう。


 冬吾の絵描きの部分は触れられないから、それ以外の部分を愛すれば
いいのに・・なんて思ったこともあるけれど、目の前にその人がいるのに
そんな複雑なこと出来るわけないよなあ・・と今は思う。
 そうすれば、楽になるかもしれない・・でも、それは自分が好きになった
人そのものじゃない。それになにより、それは冬吾を捕まえていない。


 苦しみながら、冬吾のまるごとを愛しているから、冬吾は笛子のもとに
いる。端から見ると滑稽にさえ見えるほどの笛子の冬吾の絵を描くことに
関しての後押しも、それの効果よりも、そうやっていること自体が冬吾の
存在に関わっていると思う。どんなに描けない時でさえ、自分の絵描きと
しての存在をそこでは確認することができる。もし、笛子が冬吾の一般の
部分だけを見て絵描きの部分と関わることをやめたら、冬吾はそれこそ
放浪の旅に出てしまうだろう。


 ああ!冬吾さん、もとい、西島秀俊さんがスタジオパークに!!!
(全然、知らなかった・・つけててラッキー!)
なんで、西島さん可愛いの?冬吾と同じなのに、冬吾と違う?
冬吾になくて、西島さんにあるものは、恥じらい・・と見た。
・・・う〜〜ん。思いがけず惹かれそうで、文章がもうまとまりません。
福士誠治くんとは、見事に好対照ですね。


 そばにいたら、冬吾、というより西島秀俊さん、ほっとけないと思う・・。
「好きか嫌いか、会ってみないとわからないじゃないですか?」
カメにすら、そういう彼がかわいいと思う。つかみどころないですけど・・。