撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

いいことも悪いこともあるけれど(純情きらり)

 きつい目にあったからといって、誰かを憎んだり恨んだりしても
何もはじまらんと思う。


 桜子が子供達に言った言葉。


 ともすれば、人は怒りや恨みをエネルギーにし、愚痴や嘆きを
癒しに使う。そうでもしなければ、やっていられないような、
ぎりぎりの気持ちになることもあるのだろう。そこまで追いつめられる
ようなきついときに、生きるためにそうすることを、責めることは
出来ない。その状況にいる人にしか、それはわからない。見ている人と、
本人とでは、全く違うのだから。


 落ち着きを取り戻したときに、桜子が言うように、思えるかどうか
だ。生きている。生きていられる。では、これからどうやって生きて
いこうか?誰の為でもない、自分の人生だ。背負うのは自分。感じるのは
自分。いいことも悪いこともあるけれど、それはすべて自分のものだ。
そして、どんな幸せなことにも、きついことにも、かならず、いいところと
悪いところがある。ものごとそのものには、「いいこと・悪いこと」
などという決まった性質はないんじゃないかとすら思う。それは、
ものごとをどこから見るか、どう受けとめるか、それにかかっているのでは
ないかと思うことがある。


 そうして、それを気づかせてくれるのは、自分とは違うひと・・・。


 杏子が八州治に言う。「生きることに一生懸命だっただけ。だれもそれを
責めることは出来ない」そして、鈴村が、風向きは変わる・・・と。
 求めるものは同じでも、選ぶ道はひとそれぞれ。自分と違うからといって
なにやかやということは本当はできない。絶対的な方法などありはしない。


 それでも・・八重が、・・戦争が終わって良かった、と思う・・と言った。
それだけは、譲れない。私もそう思う。対立も、争いごとも、すれ違いも
決して無くなることはないだろう。100パーセント全てのひとが満足できて
しかもそれが続く世界なんて、どこにもないと思う。どんなときにも、試練と
悩みは続く。そして誰の上にも同じようにそれはあるのだ。
 それでも、それを内に湛えながら、生きていきたいと思う。何かを排除
したり完全に否定したり、ひとつの考えだけに縛られたりせずに、凡てを
受け入れながら迷いつつも自分のやり方で、何とか、もとめるものに近づいて
いきたいと思っている。