撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

あたしのために生きて(純情きらり)

 東京大空襲のことを聞き、居ても立ってもおられず東京へ出てきた
桜子と磯。マロニエ荘はかろうじて無事だったが、二日経った今も
行方がわからない冬吾と和之。街のあまりの惨状を見て、絶望しながら
帰ってきた磯。それでも、まだ冬吾を探し回る桜子。


 ついに冬吾をみつける桜子。しかし、瓦礫の下敷きになって動けない
冬吾は、桜子に危ないから離れろと。もう、自分の命をあきらめたような
ことをいう。その冬吾に向かって、あたしには生きろって言ったくせに
そんなことをいわんで、一緒に生きて、あたしのために生きて・・と。


 人間は最終的にはひとりだ。しかし、決してひとりでは生きていけない。
どんなに心を閉ざそうと、なんらかのひとのつながりのなかにはいつでも
入っているし、どんなにひとりに閉じこもろうと、どこかで、何らかの
繋がりを求めている。・・死を決心しないかぎりは・・・。


 冬吾には愛する家族がいる。笛子も、子供たちも・・。桜子だって
そんなことはわかっている。でも、いまは、目の前にいるのは、わたし
だけ。いま、彼の手を繋いで引き戻せるのは、今目の前にいる私だけ・・。
 溺れる人を見て水に飛び込める娘なんだ、桜子は。いろいろ手段は
あるけれど、今、せっぱ詰まった状態のこの時に、ためらわずに、自分の
心をさらけだして行動できる娘なんだ、彼女は。


 冬吾さんも、ある意味では、そうだ。彼が、結婚前に、もてていたのも、
それは、冬吾がプレイボーイだったのでも、ましてや、まめだったのでも
なく、女達に必要とされていたからだろう。彼女たちの、愛を求める
きもちは、彼にとっては、生きることのための助けを求めているかのように、
純粋に伝わって来たのだと思う。なんのしがらみもなかった彼は、純粋に
それを受けとめて、そして、立ち直った女たちは、感謝して去っていった
のではないか?


 冬吾の瞳がいつも、どこか虚ろに見えていたのを思い出した。彼に
とって、自分の心を向けるのは、絵を描く情熱だけ・・のように見えた。
それ以外のこだわりはない。彼が人に言う言葉がもっともだと思える
のに、どこか白々しい気がするのが否めなかったのは、彼の生への
執着とか、実生活での実践が言葉より薄い気がしていたからだろうか?


 冬吾と桜子が似ているけれど違うのは、そこだ。桜子もまた、自分の
人生を様々に変えるほど、人のために生きている部分があるけれど、
彼女には生きることに対する、意志を輝かせている。そして、それは、
彼女が、家族を持っていることと深い関係があると思えてならない。
 彼女が、突拍子もないことを言えるのも、相手の気持ちにお構いなしに
人に尽くせるのも、もとをたどれば、彼女はいつも家族に愛され、その
存在そのものを絶対的に肯定されてきたからだ。その桜子が、冬吾に
よって音楽を思い出し、今度は、冬吾が桜子によってどう変わるのか。
来週も行方を追っていきたい。キーワードは「家族」かな?