撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

描きたい絵を描きたいだけ(純情きらり)

 磯おばさんの秘密があきらかになりました。かずゆきは、磯さんの
産んだ子だった。取り上げられて、会うことも許されず、忘れたふりを
して、記憶の奥底に押し込めてきただろうに、こんな形で巡り会って
しまうところが、べたといえばべただけど、そういうものだろうなあと
思う。強く念じていれば必ず引き寄せる。そこで、自分から動くか
どうかだ。忘れているふりをしていたけど、忘れられるものじゃないね、
と磯さんもいてもたってもいられず、東京に出てきてしまったんだろう。
・・そのおかげで、笛子さんも助かりましたけど・・。


 展覧会の開催も、特高からの制限が多く危ぶまれるところ。仲間内では
それぞれの性格がまた違う面から見えるのが、おもしろいところ。
 ここでは、冬吾さん、絵が抜きんでているだけでなく、思慮深くみんなを
まとめるリーダーなのね。逃げてないじゃん!
 やすじさんに、戦争画・・と決めつける守田がいまひとつ、気にいらな
かった。そんな単純な気持じゃないだろう。それとも、一度でも心にもない
絵を描いたということで、なにか含みがあるのか?まじめゆえに、ひとを
許さない部分は、状況が変わって立場が変わったときの恐ろしさをどこか
感じさせる。その点では、冬吾さんのほうが、人間的なのかな?
白と黒だけじゃないぞ、これが出来なきゃ死んじゃう!じゃなくて、
ちょっと時間をおいてみよう・・・と。


 八重さんは、わたしにとっては、初めから好きで気になっている存在。
その優しさと、静かな強さは変わらないけれど、岡崎に守田と来たところ
あたりから、以前とは雰囲気が違っていた。岡崎に来たときは、なんか
太ってみえて、一瞬「赤ちゃんできた?」と思ったのを覚えている。それ
以前の、どこにも属さないけど、みんなのことを見守ってくれてる・・と
言う雰囲気じゃなくなっていたから・・。桜子が、「あの人(守田)と
つきあってるの?」みたいなこと言って、八重さんが「やだ!」なんて
否定しなかったことだけ覚えている。その影響かな?とも思ったけど。


 今回感じたのは、八重さんも画家だったんだ!ということ。展覧会の
開催をひとりひとり祈っていた昨日の場面に強く思いました。そして、この
時代、描きたいものを描く、というそれだけのことを貫くだけで、はかり
しれない苦労をし、弾圧をうけ、いずれは命をかけるようなことになる
そんな時代だったんだろう・・と思います。


 描きたいものを描く、愛したい人を愛す。そんな、人間としての自然な
気持が、大事に守られること・・。あたりまえのしあわせが、あたりまえに
存在する世界でありますように・・・。