撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

子供達よ

 中学生のラグビー、奇跡に近い、すごい試合を観てしまった。残り3分
から、16点差を覆す大逆転。リードしていたチームの父兄は、勝利を
確信し、明日からの予定を口にし、リードされていたチームの父兄は、
誰も口には出来ないが、心の中では覚悟していた。


 ワントライを決めても切なさがつのりただ応援するしかない。ツートライ
を決めてゴールが決まったあとは、ノーサイドの笛が鳴らないことのみ
祈る。
「神様、せめて子供達にラストチャンスを与えて下さい。チャンスを掴める
かどうか、あとワンプレイだけ、子供達に最後まで戦わせてやって下さい」
ただただ、そう祈る。


 そして、ラストチャンスのワンプレイは許された。この時点で、試合は
はじまりに戻ったと言える。リードは守りきれば勝利の約束。しかし、
ワントライをあげればひっくり返る2点差。そして、起こった奇跡にも似た
ラストプレイ。グラウンドのほぼ端から端をつなげて、走った見事な
チームプレイによる、トライ。応援席から湧き起こるとよぶにふさわしい、
慟哭にも似た歓喜の声。そう、心の中で覚悟していた結果を見事に覆して
くれた子供達に、親もまた、180度の揺さぶりをかけられて、出てきた
声は、勝利を喜ぶ普通の声ではなかった。信じられない・・・。


 ここ数週間、子供を育てることにおいて、ぐじゃぐじゃに悩んでいた
私にとっても、この試合に立ち会えたことは天からの恵みだったと思える。
 最後の最後まであきらめないこと。あきらめた途端に道はなくなる。子供を
信じること。いいときも悪いときも、考えているときも考えていないときも
あるかもしれないが、それでも信じて見守ること。進むためには、逡巡する事
も必要だ。よけいな口出しや、多すぎる指示をしないこと。子供の行き先を
示し、間違いを正すことは必要だが、タイミングと回数を考えることは、
思った以上に重要。正しいことだからって何度でもしつこく言えばいいって
もんじゃない。寸断されるゲームは、思った以上にストレスになり、あまり
にも多すぎる指示は、かえって自信と集中力を弱めそうな気がした。


 奇跡の勝利の反対は、悪夢・・なのかもしれない。


 でも、わたしはこの試合を敢えて奇跡とは呼びたくない。親からみれば、
奇跡を味あわせてもらった・・と思う。
 しかし、これが成長期の子供というものなのだ・・・ということを忘れない
ようにしたい。おとなとこどもは違う。こどもは、大人の何倍もの振れ幅を
持ちながら、不器用に育っていく。おとなの計算は子供には通用しない。
その、振れ幅こそが、生きる力になっていくのだろう。考えることと胸が
いっぱいでまとまりませんが、とにかく、何のご縁でか、立ち会えたことに
強烈に感謝しています。