撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

奇跡


奇跡を起こす
と言ったひとに
あなたならできる
と言った日のことを思い出した


心細いほどに微かに光っていた三日月が、今日は少しふくらんでいた
きっともうすぐ逢える


化粧水をはたいただけの頬が今夜はしっとりと冷たく潤っている
そこに手を添えるとあの人の手の平を思い出す
不意に涙が溢れそうになる


桜の季節に逢おうとあのひとは言ってくれたのに
ようやく一緒に夕ご飯をたべる約束ができたのは
もう葉桜になってからだった
今年に限っていつになく咲き急ぎ散り急いだ桜たち
あのひとを「嘘つき!」と責め立ててみたくもあったけれど
その桜を咲かせたのはあの電話の日から桜のことばかり考えていた
わたしのせいなのかも・・とも思えて何も言えなかった


賑わう店のカウンターで肩を寄せ合いながらお酒を飲んで
お腹もいっぱいにしてからふたりで時を過ごす
桜の約束が果たせなかったからでもないだろうけれど
なんだかすこしだけぎこちないあの人の様子に
こちらまで照れくさくなる


この間買ったワンピースの話をする
ノースリーブか・・あなたのここ、好きなんだ
と、あなたが肩先にくちづける
この春みたどの桜よりも濃い紅の花びらがそこにひとつ散る
首筋に
胸元に
背中に
からだじゅうに
つぎからつぎへと花びらは散りばめられる・・・


自分のこと好きにならなくちゃ
ひとのことなんか愛せないよ
たまにそんなことを言ってみたりもするけれど、
いまはまた思う

ひとに愛されてはじめて、
こんなにも自分が愛おしい
わたしというとらえようのないものだけでなく
この抱きしめられるすべてが愛おしくてたまらなくなる


そして息もつけないほど抱き合った後に
やっとほどけたふたりは顔を見合わせて声を立てて笑った
ひさしぶりに同じ気持ちでいることが分かって
安心して心から笑った


ふたりまた一緒にいられること
ふたり同じ気持ちで笑えること
これは奇跡のひとつ
日常に散らばる
よくあるけれど
それでも大切に用意されたものを
心を込めて扱わなければ
するりと逃げてしまう
奇跡