撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

結晶のように・・

 春休みのお楽しみで、息子のラグビー仲間がうちに泊まりに
来た。男の子6人、おやつ〜夕御飯〜お泊まり〜朝昼兼用ご飯
まで生活をともにする。はっきりいってまかないのおばさん状態
です。毎日その状態がいやだ〜っていってるくせに、あえて人数
増やしているのは何故?日常と同じ事をしてもメンバーが変わると
日常を離れるのが不思議です。


 夜中にみんなで思い出の試合のビデオを観る。奇跡に立ち会えたと
思えたほどの大逆転劇の試合と、この夏最後を飾った、九州大会の
試合・・。どちらも忘れられない大切な試合だ。


 どの子もちび監督のように、自分のうんちくを傾けながら、試合の
解説を口々に語ってくれる。このプレイがすごかったとか、この選手は
どこの高校に進んだとか、ラグビー情報満載のミーハーな私にとっては
こたえられないひとときだった。


 そんななか、ひとりがぽつんと言う。おばちゃんの応援の声でよく
聞こえた言葉があったと。これこれ・・とおしえてくれるので、巻き戻して
聞いてみると確かにわたしの声が「自分たちのやってきたこと全部出せ〜っ」
と叫んでいた。


 あの頃、いろんなことがあってぐちゃぐちゃに悩んでいた。子供達に
声を掛けながら、いったい何を考えていただろう?順当に行けば勝てると
思っていた試合で、相手に3トライ差をつけられ、もうあきらめかかった
頃から始まった奇跡の逆転劇。その思い通りにならないゲームを観ながら
自分を信じてプレイしろ、やってきたことを出せ、みんなでつなげてトライ
しろ、声を出せ、・・・そんなことを懸命に叫んでいたのを覚えている。


 それでも、一度はあきらめてしまったのを覚えている。相手チームにトライ
を許したときに、途中であきらめて追わなかったために中央まで走られたのを
みて、こんな気持ちじゃもうだめだ・・と悲しくなってしまった。それから
もうワントライとられて絶望的に・・。


 どこでどうして変わったのだろう?観ている大人の多くがもう結果が見えた
か?と思ったそのあとにその反撃は始まった。するすると抜けていくように
得点を重ね、逆転のトライとともにノーサイドの笛の音。感じたのは、この子
たちは、親もコーチも超えたところでこの試合を自らの手で勝ち取ったのだと
いうこと。先日の打ち上げで、ひとりのコーチがあんな試合を見せられて、
もうそれ以上なにをいうことがあるものかと言われていたのがよく分かった。
 子供を育てるということは、こういうことだ。いろいろあったとしても、
それはすべて子供達のためだし、そのすべては子供達のものだ。大人は、
奇跡をおこす年頃の人たちを相手にしていることを忘れてはならない。そして
子供の人生は間違いなく子供本人のものだということも・・・。


 自分の大学生活の最後の頃、部活で、一日一日がかけがえなく愛しかった
ことを思いだした。それまでやってきたことが、これでもう最後なのだと思う
と出来事のひとつひとつが、その場で結晶して思い出になっていくのを感じる
程に思えたのを覚えている。


 試合を観ながら大はしゃぎしている卒業生は、高校でプレイできることを
心待ちにしている。一緒に笑っている新3年は、もう新しいチームでより高い
目標を狙って走り出している。走って走って、いつか立ち止まったときに、
彼らもこの試合のことをまた違う感覚を持って思い出すのだろうか?


 宝物のような思い出をそれと知らずにいっぱいつくりだして、その輝きを
惜しげもなく周りにいるわたしたちに振りまいてくれている彼らに大いに感謝
したい。お返しには・・たまに羽目を外せる場所を食事と一緒に提供させて
もらおう。そして・・おせっかいなおばちゃんのつとめとして少々の小言
などもリボンをつけて届けておこう。


こら!挨拶と言葉遣いはしめるとこきちんとしめろよ
世界狙うんだったら、食事のマナーと茶碗と箸の持ち方は正しく美しく
しなさい!
 ・・・などと、今度逢ったら言ってやろう・・と、考えている意地悪な
おばちゃんでした。おばちゃんなんて呼ばれたくない!と思っていた私も、
彼らの前にいるときは、その呼び方になんの抵抗も感じないどころか、声に
出して呼ばれることに幸せすら感じるのでした。「芋たこなんきん」の町子
さんが、おばちゃんと呼ばれていたのも、その中に信頼関係を感じていたから
心地よく聞こえたんだよなあ・・と思ったりしている私なのでした。