撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

「間(ま)」というもの

 「間が悪い」「行間を読む」この目に見えない間...というもの。
時間ではかることができず、その時その時で変わってしまう間と
いうもの。時間のような空間のような...。空気を読めないって
このごろ使うけど、この場合は、静的な状況。間の場合は、それ
プラス、間合い..というような動的なものも、もっと長い単位の
ものも含まれているような気がする。


 日本の男は、たいていこの間を読んでこの間をうめるのが
下手。特に、親しい人、好意を持っている人に委ねちゃってる
ところが多い。自分が何かを投げかけて、相手がそれに答えて
くれると、「そうだね」とか「一緒の気持ちで嬉しいよ」とか
ほんのひとこと、最後の詰めを忘れて、もう、次の話に移っている。
 その一言か、アイコンタクトのひとつか、そんなちいさな一つで
裏と表が逆転するほどの違いが出ることに気づいてない。


 もっとも、これはかなり高レベルの話。このごろ気になるのは、
行間を読む、どころか、人の話はろくすっぽ聞いてないくせに、
言い間違いとか、人の失敗だけに反応して笑うやつ。これは、テレビの
悪い影響かな..と本気で心配。そのうち伝えたいことはあらかじめ
テロップ出せるように準備して会話しなきゃいけなくなったら...
....そんなこといやだなあ...。