撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

桜貝

普段乗らないあたりの路線バスというのは
どうしてこうも旅の気分を味あわせてくれるのだろう
ほんのきまぐれで始まったふたりの午後は
なんだかいつもと全然違う気分で過ぎている


歩くのは好きだ
どうということのない話をしながら歩き続ける
職場の後輩が面白いことをやってたとか
行きつけの店の新しいメニューが美味しいとか
別に今日話す必要もないのだけれど
たまたま今日思い出したから聞けたというほどの
そんな話で笑い合えるということが幸せな日


歩いていたら海に出た
もとは埋め立ての人口の砂浜ではあるけれど
波打ち際も寄せてくる波もその上をきらめく光も
十分すぎるほど海だ


まだ3月だというのにやけに暖かかった
「眩しいね」
初夏を思い出させる光が海の色と海の匂いを際立たせていた


歩く速度が緩くなった
波打ち際を独り占めしてはいけない気がして
ふたりならんでいたそのかたちをほどいて
半分海に向き合いながらゆっくり歩き続けた


なにか話を続けようかと思ったけれど
なにを話していいか分からなくなった
よく考えてみるとさっきまでだって
なにを話したらいいか選んで話してたわけじゃない
ずんずん歩いて行ったらどんどん遠くへいく
そしてどこかで折り返してまたここへもどってくれば
海辺でのふたりの時間は終わるはずだ
お気に入りの読みかけの本を大事に読むように
砂浜の砂を確かめるかのように歩を進める
・・砂浜の砂のいったいなにを確かめるというんだろう


遅れて歩いていた彼女が波打ち際にしゃがんでいる
振り返って待っていると小さく笑いながら手のひらを開いて見せてくれた
小指の爪ほどの薄紅色の貝殻がみっつ
ついてる砂を指ではらって息を吹きかけて飛ばして
大事そうに光に透かして見たりしてる
そんなことしてどうするんだろうって見てたら
ぼくが持ってるトートバッグの外ポケットに滑らせて入れて
「よし!」ってつぶやいた
なんだかおかしくって笑いたくなったけど
笑うと怒られそうな気もしたので
彼女の真似して「よし!」ってつぶやいて彼女の手を握った
彼女は何にも言わずに海の方を向いたままだったけど
自分の肩をぼくの二の腕にすこしだけぶつけてまた歩き始めた


もう歩く速度に迷わなくてもよくなった気がする
気の向くままに歩き続けてまた旅気分の続きを味わえばいいだけだから