撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

忘れてはいけないことを思い出す

このところ2011年秋から2012年春にかけてあっていた
朝ドラ「カーネーション」の再放送を観ている




あのちょっと癖があるけれどとてつもないエネルギーを持った
主人公糸子を通して戦争が語られる



和菓子屋の店先に品物が並ばなくなってきた頃には
こんなもんも食べさせられんくなって戦争にやら勝てるのか?と


戦死を覚悟させられるような出征を
ひとをまるで石炭か何かのようにぼうぼう燃やして
いったいなにがほしいのだろうか?と


戦争一色に染まっていく時代に
「学校ではひとの殺し方とどうやって死ぬかばかりを教え
 ひとはいつ死体になってもいい用意をしていました」



ドラマに時折でる日付をみて
ああ、まだ16年
ああ、昭和20年になった

そして今日
ついに昭和20年8月15日



大切なひとが幾人も亡くなり
多くの街が焼かれ
これからの淋しさと困難さは想像に難くないけれど
それでも
ああ、戦争は終わったのだ
これでもうあの恐怖は観ないでいいのだ
と・・・







もうひとは忘れたのだろうか
もう知らない人ばかりになったのだろうか
国の上に立つ人は歴史というものを知らないのだろうか
それとも自分は戦禍には巻き込まれないと思い込んでいるのだろうか




今なお
戦争というものがあったゆえに起こった
様々な悲劇の傷跡も争いも終わってしまってはいないというのに



二度と間違ってはいけないと思うのだ



死ぬ覚悟も
ひとを殺す覚悟も
したくないし
ましてや子供たちにさせたくもない