撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

 港

やっと帰って来たね
うん
やっと帰って来たよ


どちらがどちらのことを言っているのか分からない
待っていたのはどちらなのか
帰って来たのはどちらなのか
それともふたりともがここへと帰って来たのか


夜中に目を覚ますととなりにあなたの寝息があった
眠りを妨げないようにそっと掛け布団を持ち上げて
枕もとにあった前開きのカットソーをはおって立ち上がった


ほとんどなにも入っていない冷蔵庫をあけて
ミネラルウォーターをとりだしコップに一杯飲んだ
昨夜のままになっていたバッグを部屋に戻し
すこしばかり用をすませて居間にもどると
さっきよりもすこし薄明るくなったカーテンを背に
あなたが座っていた


その横にひざまずきあなたの表情を覗き込むように顔を近づけた
あなたはしばらく眠たいような真剣なようなまなざしで私をみつめ
「おれはここへ帰ってくる」とつぶやいた
「えっ?」と聞き返そうとしたら
あなたがわたしの二の腕をつかんで引き寄せる
わたしはあなたが胡坐をかいたその中にすっぽり椅子のように座った
「なんだかどこにいてもなにをしていても
 ずっと旅にいるような気がしていたんだ
 それは自分で選んだ生き方ではあるのだけれど・・
 でもここにくると帰って来たって気がする」
「ふふ、待ってなんかいないわよ
 待つのはもうとっくに飽きたんだから」
「いいさ
 待たせるのはつらい
 ときどき待たれるのに嫌気がさすことがある
 こればっかりは性分かもしれない」


顔を見ないままあなたの声が後ろから響くのを聴いている
まだ半分眠いまま心のなかで歌を歌うようにゆうらりゆうらりからだが揺れる



やっぱりあなたは船にのった旅人
ここはあなたの港
わたしは気ままな鳥
わたしにとっては止まり木のような場所
なんの未来も約束も持たなかったふたりが
そのかわりに見つけた場所がここ


目を瞑ってかすかにハミングしてたわたしを
あなたが後ろから抱きすくめる
固く縛られた縄の中で体をよじるようにして向きを変え
脱出を果たした両手をあなたの首へ回し
その腕を絡め胸と胸を合わせるようにしてあなたの耳元でささやく
「きっとわたしもここへ帰ってくる」


ボタンをゆっくりとひとつふたつとはずしていたあなたは
もうそれをやめにしてわたしを転がした
外では小鳥のさえずりが聞こえ始めた
わたしたちも抱き合いながら小鳥のように笑ってる
どうして笑ってるかって
ここは帰ってきた場所だから
もうどこへも帰らなくていいから
ずっとふたりでこうしていられるから
なんにもないこの部屋ではあるけれど
水も
光も
風も
いまのふたりに必要なものはすべてある