撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

 風


ゆっくりと扉を開けて部屋の中へと入る
あなたは後ろ手で扉を閉め安堵の溜息をつく
その顔がまるでいたずら小僧のように見えてクスリと笑えた
だってさ・・と何を言われたわけでもないのに
あなたが弁解するように唇をとがらせて見せる
なあに?とその続きを聞こうと耳を寄せたら
もういいからいいから!と奥へと進むように急き立てられた


しばらく住人のいなかった部屋はすこしだけこもった匂いがした
しかしそれはなにかとか誰かとかのものではなく
まだだれも住んだことのない、部屋そのものの悪くない匂いだった


あなたが点検するようにすべての部屋の照明をつける
そして窓という窓をすべて開け放ち今日の風を入れる


窓からは少し距離を置いた街の灯りがちらちらと見える
もう一方からはビルを取り巻くちいさな森のような木立も見える
わたしはキッチンのカウンターテーブルに座り
その明かりと暗がりを風に吹かれながら観ていた
その両方をゆるやかに流れてここへと入る風が心地よい


バトンタッチしてシャワーを浴びて出てくると
あなたが窓際に夜具を準備してくれていた
小さな森の見える窓の片端だけ開けて
レースのカーテンが揺れるのを観ながらふたりの時間を過ごした
微かに動くカーテン越しにびっくりするほど冷たい風が時折忍び込む
しかしそれが一層ふたりを寄り添わせる
森のちいさな茂みの中で身を寄せ合う動物のように
息をひそめて過ごすふたりのこもった熱をちょうどいい温度にしてくれた


わたしがもう目を開けていられないほど眠くなったころに
あなたが片手をのばして窓を閉めてカーテンを閉じている気配を感じた
目を閉じたままその手が戻ってきたのを捕まえて
お布団を掛ける様にわたしの首元へまわした
あなたはされるままにわたしに寄り添って耳たぶの後ろにキスしてくれた


おかえり
ただいま
おやすみなさい


しばらく交わせなかった言葉を交わして
ふたりそのまま眠りについた