撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

カーネーションに恋して・・・

覚悟はしていたんです
だから新たな気持ちで楽しもうと・・
それにしても不自然なほどざっくりと知り合いがいなくなって
どこの家だか分からないほど改装されて
(和風から洋風になったのはいったい誰の趣味?単なるバリアフリー?)
直子さんはモデルとは別人のようにいつの間にか美しくなって
みちゃこは素顔の高校生のほうが似合ってたなって思えて
優子は違和感なしだけど、これほど馴染みのない孫も珍しいと思えて
糸子が妙に声を張り上げるのは年をとって耳が遠くなったせいかしら?とか
一緒に住んでる孝子さんだか、もうすこしお洒落な人じゃなくていいのかしら?洋裁店なのに・・とか
楽しむ前に?????の大洪水でよくこれまで別物になったなあ・・って感心するほどで
あんなに素敵なはずの夏木マリが全然カッコよく見えないのはもったいないなあ・・とか



文句タラタラ・・いえ、文句じゃないんですけど、単なる感想(笑)


こういうときって人間不安になるんですね
ほかのみんなはどう思ってるんだろう?って
これがまた様々で・・
いままでうんうん!って頷いて読んでた文章を書く人が
そう違和感を持たずにまたいい感じでかかれてると
「え?わたしだけ?わたしって性格悪いのかな?」なんて思えたりして(笑)
なんとなく違和感があるとか
いいとか悪いとかじゃなくてこれまでと全然印象が違うとか書かれてるのを見ると安心したりして



結局、リアルタイムで観るのをやめ
録画してるのもだんだん観なくなり
これからどうしようかなあ・・ってところ


これこそどうでもいいんですよね
観ようが観まいが
面白いと思えば観ればいいし、嫌なら観なくていい
でも今までがあまりに面白かったもので・・


ああ・・とここで感慨に耽る
どこかで頼りにしちゃってたんだな
好き!とか愛してる!とかいいつつ
そのことに元気もらってて
それをもらうことに当たり前になってたんだなあ・・


・・・ちょっと恋愛関係に似てる(笑)



ひともとしをとると変わる?
まわりにいるひとが変わると変わる?
子どもとこれまで深い関係を築くことなく仕事にかまけてると
子どもたちがいなくなるとなんだかひとがらが変わる?
カーネーションの中心は糸子でも実は千代かあさんが要だった?



などと穿った観方をしつつ学ばせてもらい・・
何より
好きなのはいいけど待ち設けていてはダメなんだ
大好きだったカーネーションに未練を残して後ろ向きになっていてはダメなんだ
・・・などと・・・


さ、勝手に言いたい放題はこれくらいにして寝ましょ
お目汚し、お耳汚しすみません


お口直しは変わらぬこの曲で・・・