撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

時計(カーネーション)

ネジ式のは
うっかり巻き過ぎると壊れてしまうよってな・・


糸子と周防の出会い、再会、そして別れの日
象徴的に時計が出てくる


ひとはみな自分の時計を持っているのかもしれない
当たり前に流れていくように見える時だが
それはみんな自分の時計を自分で動かすことによって
流れているのかもしれない


一緒にいきているひととはお互い知らずに
その時計のネジを巻き合ったりしているのかもしれない
知らず知らずのうちに力をもらったり、時には煩く感じたりしながら・・


糸子は・・・
周防と共にいてもやっぱりネジを巻き過ぎて終わりになってしまったのだろうか?
それとも
あのときの糸子にはネジを巻いて人生を進ませていくために
周防との出会いが必要だったのだろうか


ひととひととの出会いは幸せで美しい
しかしながら
それを美しいままで続けていくためには
ものごとのことわりに逆らわぬほどのさりげなさか
自分の求める姿を描き続けるバランスを保つ繊細にして膨大な力か
そんなものが要るような気がする



糸子が自分は周防の夢を叶えたのではなく取ったのだと・・
自分は自分の人生を自分の時を生きるしかない
誰かと重なることはあっても誰かのものを自分のものにはできない
あまりに愛を急ぎ過ぎるとそうなるのかもしれない
ふと・・
手を出すことと手を用意しながら見守ることの違いを思い出したりして・・・



昨日、今日のうわさからこちらの話はなんだかあまりに急ぎ過ぎ
いったい皆が何を騒いでいるのか分からないほど
昨日のふたりの抱擁シーンなど
「もう!噂になっちゃったなら一度くらい抱き合っとかなくちゃ!」ってくらい、「え?今までそんなことありましたか?」って不自然だったんですけどぉ〜


なんだか今日のラストを観ると
糸子の中ではもう終わっちゃったことなんですね
その朝帰りしてそのまま子どもの中に倒れ込めるあたり・・
なんだかめちゃくちゃ男前というか、糸子、男!って感じがするのは私だけ?
あっ・・でもホントに腹くくったときには女のほうが男らしいのかも・・(笑)
う〜ん・・ある意味彼女は「愛されてた」ってより「愛してた」ほうが大きいから
そうやって自分で区切りがつけられるのだろうな・・・
ありがとうと笑顔で言って
前に進みますと決心できるのが
内容はともかく納得できる一週間の終わらせ方・・・


それにしても・・・
糸子と勝、そして周防を観ていてふと思ったこと
女があんまり頑張りすぎると
男はやることがなくなって(もしくは取られてしまって)
ずるい男になってしまうのだろうか?
男が頑張っている後ろで微笑んでいる女は悪くないけど
女が頑張っている後ろで微笑んでいるだけではさまにならないような・・
男前糸子はやっぱり家族を支えてひとりで生きるのが似合っているのかなあ・・