撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

涙(カーネーション)

奈津を救えるのはおばちゃんだけ!と
安岡のおばちゃんに頼みこむ糸子


そうか・・・
そう来たか・・と思うと同時に
このドラマの深さを想う


余談ですが
アニメ「アルプスの少女ハイジ」で一番好きなお話は
「クララの幸せ」という回
クララがハイジのいるアルプスに来た中でも地味なお話なのだけれど
ペーターのおばあさんがクララの聖書を読む声がとても素敵だ、天使のようだという場面で、
クララがおばあさんにありがとうございますと涙ながらに言うところが泣けた回
なんだかね、そのお話を思い出してしまったのです


時に・・・
ひとは前を向いて歩いていくことがきつい時もある
歩いていけるひとはいいよね
つよいひとはいいよね
と、うずくまってしまうこともある
あまりに哀しみやショックが大きいと現実の世界にいたくなくなるときもある


奈津が泰蔵兄ちゃんの死を認めたくないように耳をふさいだとき
安岡のおばちゃんが欲しかったのはこの行動だったかもしれないと思った
認めたくない死、許せない悲しみ、どうしようもない喪失感
明日を生きる力より前に
この哀しみをどうしようもない哀しみをどこかにやるための時間なり手続きなりが要ったのではないか・・と


ひとは現実を認めなければ先に進めない
その現実の認め方は人それぞれで
どっぷりと浸る暇もなく新しい現実と戦う人もいるわけで・・
そんなひととは分かち合えないわけで・・
認めたくない現実からは目を逸らしたいのは当然で・・・


そんな中
奈津にとっては涙を流して泣くということが現実を認めることで
おばちゃんにとっては涙を流すほど悲しんでくれるひとがいるということが
哀しみを一緒に感じてくれるということで
そのことによって現実を認め、乗り越えることができるということなのかも・・
などと思ったりして・・・


それはどうなるかわからないけれど、とりあえず一区切りで
最後の場面は周防と糸子


最後のナレーションが要ったかどうかは微妙なところ
だって・・・
周防を見送る糸子
糸子の店を去る周防
ただのさよなら、またいつか・・じゃなくて切なさが漂ってたじゃない?


この想いに名前をつけることはできなくても
別れが切ないということは・・
もうふたりの間にはきっと何かが始まっている、芽生えている・・と思う