撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

君が代について

なんで急に?って自分でも思うんだけど
原発が問題になってから急に原発について発言するひとが増えて
そういう人に限って「前から危ないと思ってた」なんて言ってたりして
そういうのがなんか恥ずかしくて嫌なものだから
気が向いたときにさりげなく書いておこうかな・・なんて思いまして・・


君が代は嫌いではない
もとの歌は素敵な意味の歌だと思う
(どう解釈するかにもよるだろうけど、シンプルに考えた場合ね)
でもわたしは大抵式のときなんかに声を出しては歌わない(起立はもちろんするけどね)
歌いたくないから歌わないのではなく
歌ってもいいし、歌わなくてもいい、という
その自由を持っているいまの日本が好きだから、それを確かめるために歌わない



海外で日本の代表として歌う様な(日本選手の応援に行ったときとか)場面なら
きっと心を込めて歌うだろうし
この歌を聴かせるためにさあみんなで歌いましょうと言われたら歌うと思う
でも
なにかに脅かされるように
なにか踏み絵を踏まされるように
そんなよく分からない強制的な気分を感じさせる使い方なら
それはやっぱりやんわりと拒否するかもしれない


君が代の「君」を狭く狭く解釈することはもう一度失敗してるはず
未来につなげるのなら
それは特定の誰かでも特定の国だけでもなく
もっともっと広く深く普遍的に科学的に感じるままに考えるべきだと思う
生きていることを幸せに思い
生かされていることを感謝できる
そんな想いに満たされるならば朗々と歌って憚ることなし・・そんな風に思っている