撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

若冲から手繰り寄せる記憶

 ブログの模様替えをしてふと思い出した。そう言えば伊藤若冲の絵画展、見に行ったなあ・・いつだったかなあ・・。もう記憶が定かでない自分に少し驚く。おそらくそれ以上前のことで鮮明に覚えていることはいくらでもあるというのに・・。美術館にいくことなど滅多にないことでその時には相当印象的だったはずなのに・・。


 と、手繰り寄せると少しだけ輪郭を現す記憶・・。すこしだけほろ苦い記憶の予感を感じてそれ以上は思い出せない。


 ひとは忘れるから生きて行けるのだ。ひとそれぞれに覚えていたいことは違うのだろう。そして、それそのものの重要さとは別にどんな記憶と抱き合わせで覚えているかによっても記憶の深さが違うのかもしれない。


 とても幸せなことと、憎しみに満ちたほど苦しいことは、人は忘れない。自分に都合の悪いことは断片的に薄れていくし、忘れないとやっていけないことは乗り越えるために封印される。小さな子どもの時にちょっとした失敗の記憶などが繰り返し繰り返し不意に浮かび上がって眠れないほど息苦しくなっていたことを思えば、なんと都合よく、強く、ある意味鈍くなったことか!


 忘れることにもたぶん意志が入っているのだろう・・とほんのり考えるある日・・暗がりの中で鮮やかに浮かび上がっていた若冲の絵たちだけは、額縁をなくした絵のように記憶の空間にひらひらと漂っている。