撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

浜本子ガメ(ウェルかめ)

 おもしろかったのは勝之新が「あんなののどこがいいんですか?」というのをきいていたアルデのマスターがぷぷぷとからだを震わせて笑っていたところ。


 今日の見どころは編集長。ロベルトを本気で叱っていたところは身に染みた。おおらかではない!甘いんや!これでもここは会社じぇ!と。
波美に「いま手ぇ抜いたらあかんのや」という言葉に通じる。そして決定的なのは「そんな見下し目線と違うのよ・・共感よ!」と。


 分かっているつもりになっていると、知らず知らずに見下し目線になる。こうやっておけば話がおさまるだろう・・とか、こんな風にいけばまずまずやっていることになるだろう・・とか。年をとって経験をつんでいてもそんなことをやっていると、いつかとんでもないことが起こる。ましてや、まだ今からのものでそんなことをしていると、真実など掠りもせずにただ時が過ぎていくだけの毎日になってしまうことだろう。


波美はいまだ何もできていない。それどころか何かを感じ取ることすらできていない。それでも悩んでいる。はたから見てるとイライラするほど何もせずに・・なにも出来ずに・・。ここで、自分と向き合うこともせずに適当な記事でお茶を濁してしまったらそれだけで終わってしまう。一生、形だけで中身のない人間になってしまう。たとえそれが傍から見れば笑ってしまうような記事だとしても、今の波美の正直な気持ちと、精一杯の仕事を詰め込んだものを造らなければ一歩は始まらない。まわりの大人はその一歩を認めてやることが仕事だ。どんな見栄えのいい記事よりも、波美が本当に作ったことを褒めてやらなければならないのだろう。


 やる気がないと怒鳴り飛ばして、何かしようとすれば話も聞かず、ようやく頑張ったら所詮こんなものかとせせら笑う。そんな大人の中にいては子供は何もしたくなくなるのも仕方がないと思うこともある。もちろん・・その第一歩は親が担わなければならないのだけれど・・。親が子供から目を離すことのなんと早いことか!泳げるどころか、海にたどり着いただけで安心して手を離してしまう・・。反省を込めてそう思う。

 
 「海ガメになりたい」と思った波美の本当の気持ちはわからないけれど、今まで自分以外のものなんて目にも入ってなかった波美がそう思ったことだけで、何か新しい一歩が始まっているのではないか・・そのやわらかな芽を大事に撫でてやろうとする編集長はやっぱり波美にとって大切な大人だと思えるのだ。


 人間のコンパスはここよ!と胸をおさえる編集長。その中で・・・ひとつ胸に残った・・というか引っかかった言葉は「引きずられて」・・。思うようにならないことや、思ってもいないけれど引きずられることもある・・本当に自分の想いとはまた別に・・それがコンパスたる所以なのだろう。そんなコンパスを胸に抱いていることこそが、生きていくということなのだろう。


 いつの間にか自分が「子供」という言葉を使っていることに気づく。そうか・・波美を社会人一年生の大人だと思っていたから腹が立っていたんだ。きっと一昔前とは違って、まだまだ子供なんだ・・。だってぇ、父たるテッシーがあれだよ!とか思っちゃいますもんね(笑)。