撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

会話するということ

 新聞の人生相談かなんかに、「年をとった夫は耳も遠くなって会話が
通じません。一緒にいるのがしんどい!」というようなことがあった。
回答は、はっきり正面でしゃべる、ということともうひとつ、同じ時間
や、出来事を共有すること・・などが書いてあった。


 ツーと言えばカーというほど気の合うひとというのは、はじめから
似たものを持っていて話をわかってくれるというのはあるけれど、それ
以上に、一緒にいたり話したりするのが心地よいからいろんなことを
しゃべったり、一緒の行動が多くなったり・・それでますます通じ合え
るようになるんだろうな・・と思う。


 しゃべっていても分かり合えないときもまたある。自分ばかりを出し
てもいけないけれど、いい顔をして、相手の話を受けるばかりでも
それもまたいけないのだろう。もちろん、それだけで楽しい時期はそれ
でいいとしても・・・。利害関係が一致したり、目的が同じだったりし
たら、同じ方向をみているというだけで仲良くできる時期もあるけれど
会話するということは向き合うということなのかもしれない。改めて
向き合うと、いままで気づかなかったことに気づいたり、気にしなかっ
たことが気になったり、それは意外な、ちょっとしたショック。


 年とともに向き合うことのしんどさを感じもする。新しい関係を
作るほうが、ズレた関係を修復するよりよほど楽なことすらあること
も知っている。それでも・・・そのズレすらも計算に入れながら、毎日
をなんとか過ごしていくのだろう・・とも思う。