撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

3−1

 電話をかけた。私から・・・!あの男へ・・!ずいぶん久しぶりで
携帯を持つ指が震えそうだったけれど、約束をとりつけるまで何とか
普通の声でいることができた・・・と思う。


 あの男は何も変わらない。冷たいほどに優しい。いつもはそれが
私をイラつかせるのだが、今日はそれもありがたかった。気づいて
いようがいまいが、変わらずにいてくれる・・それも優しさだと
受け取っておこうと思う。


 約束は週末の夜。食事をして・・どこで軽く飲もうか?そんなこと
を考えていたら夕方メールが届いた。仕事が長引いて遅くなると・・。
ドキドキしていた落ち着かない気持ちが行き場を失って心の中で渦を
巻いている。本屋で時間を潰す。落ち着かないまま手当たり次第に
本を手に取っては大して中身も見ずにまた棚へ返すことを何度か繰り
返す。お茶でも飲んでゆっくりしよう。そう思ってビルの外に出る。


 辺りは春の湿った風が満ちていた。時折その重さを吹き払うように
乱暴な風が吹く。そんな風に背中を押されるように歩いて、ふと
気づくとあの喫茶店の前に来ていた。男と初めて入った店だ。もう
季節はぐるりと巡ったというのに、この店にはあれから一度も来て
いなかった。


 重いドアを開ける。とたんに違う世界の匂いになる。


 言葉少なにコーヒーを頼み、ぼんやりと目の前にある絵を眺めて
いた。淡い美しい色彩で描かれた、空に赤い風船の浮かぶ絵だった。
 いつの間にか心は静かに凪いで、ひとつの決心のような思い付きが
わたしの頭の中を占領しているのだった。